2023年11月22日水曜日

こころ 24 -「進む/退く」とは何か

 Kの口にした「覚悟」とは、死をもって自らの煩悶に決着を付ける「覚悟」のことだと結論した。だがその論理には疑問を残したままだ。

 だがそれを解くために、話は一旦遡って、上野公園の散歩中の会話の始め辺りに戻る。

 122頁から始まるエピソード1、「私」とKの会話の始まり近くに次の一節がある。

彼は進んでいいか退いていいか、それに迷うのだと説明しました。(123頁)

 この「進む」「退く」とはそれぞれ何のことか?


 だが、この問いの答えは、それが問われる意義がわからないほどに明らかに思える。「進む/退く」が「お嬢さんに進む/お嬢さんを諦める」という意味であることはわかりきっている。

 だが、この部分の解釈は、「こころ」の読解の最も重要なポイントなのだ。ここを転換点として、「こころ」という小説は、世間が思っているのとは全く別の様相を露わにする「コペルニクス的転回」を迎える。

 問題は問いの答えではなく、根拠だ。

 「進む/退く」はなぜ「お嬢さんに進む/お嬢さんを諦める」のことだと解釈できるのか?


 先の「覚悟」で考察したように、言葉の解釈は文脈に依存している。「進む/退く」は、文脈の中でそのように解釈されるのだ。そのことを自覚する必要がまずある。

 「進む/退く」という動詞は「前後」というベクトルを前提している。「動く/とどまる」ならばそのような「前後」の方向性は限定されないが、「進む/退く」が何のことか読者に了解されるとしたら、前後に何があるのかが何らかの形で読者に予め提示されているはずなのだ。それはどこに書いてあるのか。


 「恋愛の淵に陥った彼」(123頁上段)という記述を挙げる者は多い。問題の在処が「恋愛」なのだから「進む」のは「恋愛」の方向なのだという了解は間違っていない。

 だが、「陥る」は上下の方向性が示されているのであって「進む/退く」という前後の方向性が示されているわけではない、とも言える。

 では明確に「前後」が示されている記述はどこにあるか?


 この一節の少し前に次のような記述ある。

  • 彼の態度はまだ実際的の方面へ向かってちっとも進んでいませんでした。
  • こうと信じたら一人でどんどん進んで行くだけの度胸もあり勇気もある男なのです。

 ここには二カ所も「進む」という動詞が使われている。

 さらに「実際的の方面」については、その前に次の記述もある。

彼の恋をどう取り扱うつもりかと尋ねました。それが単なる自白に過ぎないのか、またはその自白についで、実際的の効果をも収める気なのかと問うたのです。(122頁)

 これらの記述が結びつくことで「進む」のが「恋」の「方面」なのだという理解が、読者の中に形成されたのだ。

 さらに次の一節もある。

私はその一言でKの前に横たわる恋の行く手を塞ごうとしたのです。(124頁)

 これは「進む/退く」より後なので、その時点では指標にはならないが、読み進めて論理を補強するという意味では「進む/退く」の解釈を支える根拠の一つだといえる。

 前後の文中で「進む」という動詞が、「恋に進む」という意味で何度も使われていることによって、読者はそれをコード(解釈規則)としてKの言った「進む」という言葉を、無自覚に「恋に」という方向で受け取ってしまう。つまり読者の解釈は、知らないうちに誘導されているのだ。


 以上の解釈に不審な点はない。だが、話はここで終わりではない。

 次の章(124頁)の「Kは真宗寺に生れた男でした。」からの一連のKの人柄についての記述中には、次のような表現がある。ここからは「進む/退く」について、どのような解釈が可能か。

  • 精進
  • 恋そのものでも道の妨げになる
  • 彼が折角積み上げた過去
  • Kが急に生活の方向を転換して、私の利害と衝突する

 さりげなく置かれたこれらの表現から導かれるのは、「進む=精進する/退く=道を棄てる」という解釈だ。当否は後回しにしても、誘導に従えばそうした解釈に辿り着くしかない。

  • A「進む/退く」=「お嬢さんとの関係を発展させる/お嬢さんを諦める」
  • B「進む/退く」=「精進する/道を棄てる」

 二つの解釈は、「前後」の方向性が反対を向いている。

 これらの相容れない二つの解釈をどう考えたらいいのか?

 もちろん後者は誘導に従って無理矢理解釈しただけで、にわかに納得する気にはなれないだろう。

 だがよく考えれば「進む/退く」はそれ自体ではどちらへ向かって、とも言っていないのだ。とすれば、根拠がありさえすれば、その解釈の正否はまだいずれとも言えないはずだ。

 「進む/退く」にそれぞれの解釈を代入してみよう。次のやりとりをAB二つの解釈を元に言い換えて読んでみる。

K「進んでいいか退いていいか、それに迷うのだ」

私「退こうと思えば退けるのか」

K「苦しい」


K「嬢さんとの関係を進めていいのか、諦めるべきか、それに迷うのだ」

私「お嬢さんを諦めようと思えば諦められるのか」

K「お嬢さんを諦めるのは苦しい」


K「今まで通り精進を続けるか、道を棄てるか、それに迷うのだ」

私「道を棄てようと思えば棄てられるのか」

K「信じてきた道を棄てるのは苦しい」


 最初に誘導に従って二つ目の解釈を無理矢理考えたときよりも、もっともらしく感じられてきただろうか。

 あらためて考えてみよう。どちらが妥当か?


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