2023年11月16日木曜日

こころ 23 -候補を絞る

 Kの言った「覚悟」とは何か?

①お嬢さんを諦める「覚悟」

②お嬢さんに進む「覚悟」

③自己所決する「覚悟」


 可能性を収拾させていく。

 三つの中で、文脈に沿った最も真っ当な解釈は①だ。

 だが①ではないと考えていい。なぜか?

 これは、積極的に②や③の意味合いを主張することによって①を否定するということではない。Kの心理を考えて、①は不適当だ、というのでもない。

 これは言わば小説読者の作法なのだ。

 どういうことか?


 Kの言う「覚悟」が「お嬢さんを諦める覚悟」以外の意味を持っていると考えるべき根拠は、Kがこの言葉を口にした科白の前後に付せられた「卒然」「私がまだ何とも答えない先に……つけ加えました。」「彼の調子は独り言のようでした。また夢の中の言葉のようでした。」などの形容だ。

 これらの形容がどのようなKの心理を表現しているかを、読者は考えたくなる。とりわけ「独り言」「夢の中の言葉」は意味ありげだから、班討論の中で既に指摘されているかもしれない。「自殺」説の根拠を考察する際、また、なぜ「進む」に解釈が変わったのかを考察する際に。

 だがこれらの形容は、メタな視点から見ると、Kと「私」の認識のズレを示すサインだと考えるべきなのだ。「独り言のよう」「夢の中の言葉のよう」がそれを示していることは明らかだし、「卒然」や「私がまだ何とも答えない先に」は、Kと「私」の会話のタイミング、すなわち思考の流れがズレていることを示している。

 したがって、Kの言う「覚悟」はこのときに「私」が想定しうる「覚悟」、すなわち「お嬢さんを諦める覚悟」そのままの意味ではないはずだと読者は考えるべきなのだ。

 これらの表現が付せられた理由を授業者は今のところ他には思いつかない。そしてこれらは何らかの意図がなく置かれた表現ではありえない。

 とすれば、Kの言った「覚悟」は、それが②や③と排他的である以上、①「お嬢さんを諦める覚悟」ではないと考えるべきなのだ。


 さらに、少なくとも②「進む」と考えるべきでもない。

 なぜか?


 130頁で「進む」の解釈を思いついたときのことを述べる文中にある「もう一遍彼の口にした覚悟の内容を公平に見回したらば、まだよかったかもしれません」「悲しいことに、めっかちでした」「いちずに思い込んでしまったのです」などの表現からだ。

 これらは誰の言葉か?


 誰のといって「私」以外の誰でもありはしない。

 だが「こころ」の「私」は、この出来事の渦中にいる大学生の「私」と、遺書を書いている「私」に分裂している。

 本文のほとんどの記述は、前者の意識によって書かれている普通の一人称小説のように読める。

 だが時折、後者が顔を出す。ここがそうだ。

 遺書を書いている「私」は出来事全体を俯瞰しているから、相対的に「作者」に近いところにいる。その語り手が、翌日新たに生じた②「進む」という解釈が間違っていたと判断しているのだ。これを否定して、やはり「進む覚悟」なのだと考える根拠は、読者にはない。


 以上の推論は、Kの心理を推測することで、この「覚悟」が「諦める」でも「進む」でもないことを論証したのではない。読者に、「諦める」でも「進む」でもないと作者がメッセージを送っていると考えられる、と言っているのだ。いわば小説読者としての作法を問題にしている。


 とすれば、この「覚悟」には「自殺」の意味合いを読み取るしかない。それ以外の意味合いを思いつかないならば。

 だがそもそも③「自殺をする覚悟」はどのような推論によって導かれた解釈なのか?

 この場面を読んでいる時点では、「私」が「お嬢さんを諦める覚悟」があるかと訊いたのに、Kが「自殺する覚悟」がある、と答える論理を想定することは、読者にはできない。この場面では、ただ「諦める」だけではなさそうだとぼんやり考え、後でKが自殺する顛末を知ってから振り返って、この「覚悟」をその前触れだと解釈するしかない。そうして「自殺の覚悟」という解釈が生まれる。

 ただ、いったんそう解釈をしてしまうと、それが腑に落ちてしまい、最初からそう考えていたように錯覚してしまう。


 さしあたって今はその解釈の可能性を認めた上で、問題は、「お嬢さんを諦める覚悟はあるか」という問いかけに、なぜKは「自殺する覚悟はある」などという噛み合わない応答をするのか、という点だ。

 なぜか?

 この問いに答えることは難しい。

 これを説明するために考えられたのが、例えば次のような解釈だ。

(「卒然」とは)「先生」の口にしたひとつのことばが、Kの内に何かを目ざめさせたさま。「卒然」は、不意にの意。Kは深く自身の内部を見つめ「先生」に語るよりは、自分に確かめるようにして、「覚悟ならないこともない」と付け加えたと思われる。(角川書店『日本近代文学大系 夏目漱石集Ⅳ』註釈)

 Kの思考が「卒然」ズレたのだ、と考えるのだ。

 なるほど。何せ「彼の調子は独り言のようでした。また夢の中の言葉のようでした。」なのだ。Kは一人の世界に入ってしまったのだ。

 だがそうではない。

 今後の考察から得られる結論からいえば、Kの思考に断絶や飛躍はない。


 この「覚悟」は、小説の持つ論理からして「自殺する覚悟」のことだと考えるしかない。他の解釈を思いつかない以上は。

 ではなぜ「お嬢さんを諦める覚悟」について問われたKは「自殺する覚悟ならある」などと答えたのか?


 だがこの疑問に答えるためには、一度遡って考える必要がある。

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