この先の議論を進める前に、次の確認をしておく。
④「月曜日」、また①②③の日は、それぞれ本文のどの記述からどの記述までに対応しているか?
ある程度の長さの文脈を一気に把握することは、意識しないとできない。一息で把握できる文脈の長さは、そのまま読解力の高さを示している。いま目で追っている文章が前後の文脈の中でどのような位置にあるかを捉えることは、文章を読む上で決定的に重要だ。
「土曜日」「月曜日」という認識が、どれほどの範囲の文章を把握する際に必要な枠組みなのかを意識したい。
④「月曜日」の始まりは130頁下段の「一週間の後」から135頁までだ。その日のうちに「談判」や神保町界隈の彷徨、気詰まりな夕飯の場面までが含まれる。「室に帰」った時点を「二、三日」「五、六日」の始点とするという推論をしてもそれが130頁から続く④と同じ月曜日の夕方のことだとわかっていなければ議論を先に進めることはできない。
さらに長いのは教科書所収の122頁、章変わりの冒頭「ある日…」から129頁上段の「しかし翌朝になって」の直前「私はそれぎり何も知りません。」までの一日である。3章半に渡るこの部分に、重要な情報の詰め込まれた①「上野公園の散歩」や、謎めいた②「真夜中のKの訪問」が含まれる。
さてこの長さが一掴みに把握できたところで、ではこれは何曜日か?
考えるべき点は130頁の「二日たっても三日たっても」と「一週間の後」の関係。考え方の手順は既に把握しているはずだ。
結論としては前に考えた「二、三日」と「五、六日」の関係と同じく、始点を同じくする同一の時間経過を含む期間であると考えていいだろう。
そう考えられる根拠は何か?
上記にならって、「三日」を「一週間」と区切る特定の出来事が見出せないからだ、という言い方は勿論可能だ。
だがそれを裏付ける重要な根拠となるのは「一週間の後私はとうとう堪え切れなくなって」の「とうとう」だ。
「とうとう」は、その前に経過を前提する副詞だ。「二日たっても三日たっても」という途中経過を受けていると読み取るからこそ「とうとう」が自然なものとして感じられるのだ。
では「一週間」の始点はどこか?
この「一週間」は、「私はいらいらしました。…私はとうとう堪え切れなくなって」から、奥さんへの談判の「機会をねらってい」た期間だと考えられるから、始点はそう思うようになった「私にも最後の決断が必要だという声を心の耳で聞」いた日、つまり「覚悟」について考え直した③「翌朝」だ(129頁)。
とすれば、奥さんと談判したのが月曜日だという先の結論から遡ること「一週間」、前の週の月曜日がそれだ。つまり③が月曜、①「上野公園の散歩」はその前日、日曜日ということになる。
これで全ての曜日を特定したと考えていいだろうか?
①の始まりの時点で「私」は学校の図書館で調べ物をしている。大学が日曜日に休講であることを④の考察時に根拠にしたように、当時の帝国大学図書館が日曜休館であったと考える必要はないのだろうか。
高校の図書室は日曜日はむろん休館だ。一方で自治体の公共図書館は日曜にも開館している。国立国会図書館は日曜祝日は休館。では大学の図書館は?
現在の大学の図書館は学生の利便性を重視して日曜日も開館している大学が多いと思われるが、明治時代の帝国大学図書館はそのような利用者サービスに配慮していたのだろうか。この点については、当時の大学図書館の休館日を調べれば、漱石の想定がどちらかははっきりする。だがこれをテキスト内情報から解釈してみよう。
①の曜日を推測する手がかりはないか?
「私は久しぶりに学校の図書館に入りました」の「久しぶり」から、①が週明けの月曜日である印象があると考える者がいるが、これは確定的な論拠にはならない。週末くらいで「久しぶり」は大げさだ。
では「久しぶり」に意味はないか?
これは、その前のKの自白のエピソードが正月だったことから考えて、おそらく冬休み明けであることを示しているのだ。
それよりも、図書館にいる事情を語る次の一節から、この日の曜日について推論してみよう。
私は担任教師から専攻の学科に関して、次の週までにある事項を調べてこいと命ぜられたのです。
この日が日曜日だとすると、「次の週までに」とは「明日までに」を意味することになる。翌日が月曜ということになるからだ。とすれば「私」は今日中に何とか調べ物を片付けなければならないはずだ。ところが「私」はようやく探し出した論文を「一心に」読み始めたところに現れたKに心を乱され、あっさり調べ物をやめてしまう。翌日、命令に反したことをどう教師に説明するつもりかを気にする様子もない。「書く方が自然なことが書いていない場合は、それがないものと見なす方が自然」の法則からすれば、こうした想定は「不自然」だ。
一方この日が月曜だとすると、「次の週」とは言葉通りの一週間後である。
必要な論文は見つかったことだし、今日はもう調べ物を中止してもよかろう…。
こうした想像はこの日を日曜とする上の仮定よりも自然だ。
そもそも「命ぜられた」は「命ぜられていた」とは違う。担任教師の指示とこの日の調べ物の間隔があることを示す後者に比べ、「命ぜられた」は、この日のことであるように感じられる。休み明けの最初の授業でか、教授に「命ぜられた」ことを実行するため、その日の放課後に図書館に来たと考えるのが自然だ。だとすればそれが日曜日のはずはない。月曜日なのだ。
「勘定してみると」の考察に見られるとおり、表現の細部には、その表現が選ばれた必然性が表れる。漱石が各エピソードの起こった曜日を想定して書き進めているとするなら、この日は月曜日だと想定されていることが、これらの細部の表現の整合的な解釈であると考えるべきなのではないか。
推論の根拠としてもう一つ、A組S君の興味深い解釈を紹介する。
この場面、図書館から上野公園に場所を移すにあたって、人が多いところから、人のいない閑散とした空間の対比があるように思える、とS君は言う。それこそが、「私」とKが対峙する舞台設定としてふさわしいのだ、と。
とすれば、図書館に学生が多いのは日曜よりも月曜であり、公園に人気がないのも日曜よりも月曜がしっくりいく。
物語の舞台となる空間の象徴的な対比などというのは、きわめて鋭い分析だった。
以上の推論からすると、40章の①「ある日」が月曜日、翌日43章の③「その日」が火曜日と見なすのが妥当だということになる。
とすると、「いらいら」と「機会をねらっていた」のは「一週間」ではなく「六日間」ということになってしまう。「一週間」というのは①から④までの期間ではなく、③から④までの期間だからだ。
これはかまわないか?
かまわない。そもそも当時から何年もたって書かれた遺書に「六日後になって」などと正確な日数を書く方がむしろ不自然だ。「私」がここだけ正確な日数を覚えていると考える必然性もない。他の日程が「二、三日」「五、六日」といった曖昧さをもった表現なのだからこの「一週間」だけが正確に「七日」を指していると考えなければならないわけではない。
といって他と同様の「六、七日」「七、八日」などという表現もかえって不自然だ。
とりわけここでは、物語が大きく動くエピソードとして、週始めの①②③から、次の週の始めに置かれた④までの間隔を概ね「一週間」と表現したのだと考えるのは、まったく自然な想定だ。
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