2023年11月16日木曜日

こころ 20 -なぜ解釈を変えたか

 「私」がなぜ「覚悟」の意味を考え直したかは、本文を着実に追えば明らかだ。そのことはそのまま説明されている。

 にもかかわらず、これはこれで案外その論理を追いにくい。

 確認してみよう。

 「私」がKの「覚悟」について考え直す経緯は何か?


 「私」が「覚悟」の意味を考え直す際の思考の流れは次のように説明されている。

私はこの場合もあるいは彼にとって例外でないのかも知れないと思い出したのです。(略)私はただKがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうといちずに思い込んでしまったのです(130頁)。

 この「例外」はその前の次の部分を受けている。

Kの果断に富んだ性格は私によく知れていました。彼のこの事件についてのみ優柔なわけも私にはちゃんと呑み込めていたのです。つまり私は一般を心得た上で、例外の場合をしっかり攫まえたつもりで得意だったのです(130頁)。

 この一節の「一般」「例外」とは何か?


 聞いてみるとこれも、ただちに全員が正解するというわけではない。「一般」は「精進・禁欲」で、「例外」は「お嬢さんに恋していること」だと答える者は案外に多い。確かにKの性格についての「一般/例外」はそれに違いない。

 だがこのように考えるのは間違っている。「一般」=「精進」/「例外」=「恋」ではなぜダメか?


 先の引用の「例外」に「恋」を代入して「恋ではないのかも知れない」とすると、「恋に進む」のだという結論と矛盾する。また、「例外ではない=一般だ=精進」だと考えたら「恋に進む」の意味に解釈するはずはない。

 「ダメ」だと判断できること自体も必要だが、それよりこうした、「なぜダメか?」の根拠を論理的に述べることにこそ国語力が必要となる。


 さてでは「一般/例外」は何なのか。これはもともと難しい問いではない。確認に過ぎない。「つまり」で言い換えられている前後を対応させるだけだ。

一般=果断に富んだ

例外=優柔な

 先の「例外」に「優柔」を代入すると「優柔ではない」となり、「果断に富んだ彼の性格」と論理的に整合することになる。

 ここで言う「果断/優柔」は何を指しているか?

 また「優柔なわけ」とはどんな「わけ」か?


 「果断/優柔」がどのような状態を指しているかについて、今年度は思いがけない議論が起こった。

 「果断」とは

①強い意志を持ってすっぱりとお嬢さんを諦める

②思い切ってお嬢さんにアプローチする

 どちらか? どちらでもない?


 考えてみると、この①②は前の「覚悟」の解釈の①②に対応している。Kが何事かの「覚悟」をもっているとすればそれは①②のどちらであるかという問題と、Kが果断に富んだ性格であるとすると①②のどちらを断行するかという問題は根が同じだ。

 ではこれらの場合「優柔なわけ」とは何か?


 ①だとすると、お嬢さんを諦められない状態が「優柔」なのだから、それの「わけ」とは、それほどお嬢さんが好きなのだということにほかならない。

 ②だとすると?


 訊いてみると「自分に自信がないから」とか「『私』に気を遣って」とかいう予想外の答えが出てきて楽しかったのだが、まあまっとうに論理を追えば「信念に反するから」と答えるのは難しくない。Kの「平生の主張」が恋に進むことを妨げているのだ。「私」にはそのこと「飲み込んで」いる。


 で、結局どちらと考えればいいかといえば、前と同じように「例外でないのかも知れない」に代入して、それが「進む」と整合するのはどちらかと考えればいい。

 「優柔」が①「お嬢さんを諦められない」か、②「道を棄てて恋に進めない」だとすると、「例外(優柔)ではない」が「進む」と結論する以上、②ということになる。

 このあたりは単純な論理なのだが、あらためて考えると結構混乱してしまった人も多いはずだ。


 もう一つの解釈も少数ながら提出された。「果断」とは①か②かではなく、①②のどちらかを迷わず決断できることだ、という解釈だ。

 その場合の「優柔なわけ」は、①②それぞれの「わけ」が拮抗しているから、ということになる。 

 これは巧みで整合的な解釈だ。

 

 ここまで確認してやっと問える。

 なぜ「私」の解釈は反転したのか? その契機になったのは何か?


 これもまあ全員が直ちにそれと指摘できるわけでもないが、的確に論理を追えば、それが上野公園の翌日、Kに問い質した際の「強い調子で言い切った」Kの口調であることは確認できる。

 そこからKが「鋭い自尊心を持った男」であることにあらためて気づいた「私」は、「覚悟」についても「一般=果断に富んだ=お嬢さんに進む」意志を示しているのではないかという推論にいたる。


 さてこれで①が、全く反対の②に変わった論理はわかった。ただ文章に書いてあることを追うだけで、結構な手間だった。

 これを確認した上で、考えたいのは次の点だ。

 ①「お嬢さんを諦める覚悟」と②「お嬢さんに対して進んで行く覚悟」は全く正反対の意味だが、一つの「覚悟」という言葉が、どうしてこのような正反対の解釈を許容するのか?


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