この文章にはいくつもの対比が登場するが、それらの対比軸はすべて同じというわけではない。
対比とは何事かの問題を考えるための手掛かりを提示しているから、対比軸はその都度なんらかの問題を提起している。
それらの対比の中で、同一軸上に並んでいると考えられる対比を「グループ化」しよう。グループを形成するということは、それだけその軸で示される問題が、この文章で重要であることを示す。
そしてそれらのグループの関係を考えよう。
この文章が「視点を変える」というスキーマによって捉えられそうだと感じられるのは、例えば次のような一節を見ても明らかだ。
- 同じ風景が広がっているのに光の色が異なっているような
- 図像を反転させるように別の見方を取る
- 異なる光の下で別様に見えてくる
もっとはっきり「視点が変わる」という表現も出てくる。
違う光の下で景色を見るように、こうした場面に昔は気づかなかった何かを感じ取ってしまうのは、自分の視点が変わったせいだろう。
こうした「視点が変わる」ことを示す対比が、前回とりあげた「大人/子ども」や「主人公/異端者」といった対比だ。どちらから見るか、という視座の在処の違いを対比している。
そうした視座の違いによって変わる「見え方」の違いを表す対比が、例えば次のような対比だ。
奇跡/日常
憧憬/陰影
表面/奥行き
敵/人間
「鳥/虫」の対比もまたこれら「視点が変わると見え方が変わる」ことを示す対比グループの一部ではある。
だが、上記のいくつかの対比とは違って、単に相対的であることを示す対比でなく、明確に異なる絶対的な視点の違いであり、入れ替えができない。「主人公/異端者」はどちらを「主人公」とするかによって反転するが、「鳥/虫」は入れ替わったりしない。
このように、相対的であって入れ替えが可能であるような対比と、絶対的で入れ替え不可能な対比がある。
そしてそうした絶対的な対比群がもう一つ、文中にある。『大草原の小さな町/家』と『オリエンタリズム』において提示される視点の対比だ。
「大草原の小さな」シリーズで示されるのは「白人/黒人・先住民(インディアン)」という対比。
『オリエンタリズム』ではそれが「西洋/東洋」として対比されている。「オリエンタル」という時の「東洋」とは「非西洋」という意味だから、実際にはいわゆる「東洋」よりももっと広い、アジア・アラブ・アフリカ・オセアニアなども含む地域・文化圏を指している。
そこから遡ってサン・テグジュペリのエピソードから抽出できるのは「不帰順族」「黒人・奴隷」「モール人」と自分たち「白人」との対比だ。頭から読んでいるとその対比が見えにくいが、『大草原』『オリエンタリズム』から遡るとそうした対比が見えてくる。
白人/黒人
先住民
モール人
不帰順族
西洋/東洋(非西洋)
この対比は明瞭で、しかもこのようにいくつもの例が挙がっているので「グループ」として存在感がある。だが授業中の話し合いの様子を見ていると、これがグループとして捉えられている班は多くはないという印象だった。なぜだ?
この対比は「絶対的」である。黒人と白人を入れ替えることはできない。この対比と「鳥/虫」という対比はどのような関係にあるか?
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