「ちくま評論入門」から「東京タワー」も読むつもりだったが割愛し「グーグルマップの世界」を1時間読んだ。これらも「視点を変えると見え方が変わる」というスキーマに沿って読むことができる。
さてその後は、要約課題として読んでいる「メディアがつくる身体」だ。
このつながりは「メディア」という共通項を介している。
「グーグルマップの世界」では地図が、「メディアがつくる身体」のいくつかの例の中では文字が「メディア」だという。どういうことか?
「メディア」という言葉を我々が日常で目にする時には、ほとんどが「マス・メディア=マスコミ」の意味で使われている。テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・インターネットなどの、マス(大衆)に情報を発信するメディアのことだ。だがそれでは「地図・文字はメディアだ」というのが何のことなのかわからない。
ここではメディアという言葉がどのような概念であるかを確認しておく。
メディアは「媒体」と訳されている。「媒介するもの」という意味だ。媒介されるものの多くは情報だ。マスメディアは情報源と大衆を媒介して情報を伝えるものだ。
では地図は何と何を媒介しているというのか?
「グーグルマップの世界」で「地図はメディアだ」という時、地図を通して人は「世界」(社会・土地・場所・空間…)を捉えているのだと、その機能が論じられている。地図は人と「世界」を媒介しているのである。
同じように文字は人と人とを媒介している。
この場合、文字と並列されるのは、例えば何か?
並列を想起できるためには、その概念がどのような「層」に位置づけられるかを正しく捉えている必要がある。
文中で並列されている「数字」は、しかし文字とは正確な並列ではない。数字は文字の一種だから、概念のレベルが違う。「文字と数字」は「動物と犬」のような包含関係になっている。並列ではない。
文中の「数字」は、実際は「数」という概念を表しているのだ。「数」は、人間が外界の「量」を把握するために使うメディアである(一種の「スキーマ」だと言ってもいい)。
また、話し合いの中であちこちで挙がっている「記号」も「文字」とは並列しない。文字も「記号」の一種だから、これも包含関係になってしまう。
「文字はメディアである」と言う場合、文字によって伝えられる情報とは言葉だ。人から人へ言葉を伝える手段として、文字と並んで日常的な場面で多用されるのは何か?
そう考えれば自ずと想起されるのは声である。書いて伝えるか話して伝えるかである。
上の問いに、まず音声を想起できるできるかどうかは、「文字はメディアである」という命題を正しく把握できているかどうかの試金石となる。
それに続いて各クラスで挙がった手話・ジェスチャーあたりはまだ「言葉」に翻訳可能な情報だろうが、図・映像となると「言葉」を含む「情報」というレベルに層が上がっていることになる。確かに「情報」という概念には「言語」も含まれるし、言語で表せない種類の情報も含まれる(それを言おうとすると言語に翻訳してしまうので「それ以外」とでも言うしかない)。
さてこの文章もまた「視点を変えると見え方が変わる」なのだ。
どこが?
人は地図によって世界を、ある見方で把握する。縮尺によって、地図に盛り込まれた情報の種類によって。地図の中心をどこにするかでさえ、すでに世界の見方を示している。
そしてグーグルマップというメディアは、世界の見方を「個人化」する、というのが「グーグルマップの世界」の主題だ。これはこれで「フィルターバブル」「エコーチェンバー」の問題としてまたこの先どこかで触れることになるかもしれない。
同様に、どんなメディアを手にしているかで、世界の見え方は変わる。スマホが存在するのとしないとでは社会のあり方は変わる。それは我々の世界観が変わることを意味する。そういう意味でメディアは我々の世界観を作るスキーマなのだ。
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