2023年11月30日木曜日

こころ 33 -死刑宣告

 「精神的に向上心のないものはばかだ」がKにとってどのように響くのかを明らかにしてきた。

 ここから「覚悟=自殺の覚悟」という結論にいたるために、もう一つ明らかにしたいことがある。

 先に、二人の認識の違いを図式化して整理した。

 

○「私」にとって

   ばか ←→ 向上

    恋 ←→ 道

   強い ←→ 弱い

― 進む ←→ 退く ―(←共通項)

   強い ←→ 弱い

    道 ←→ 恋

   向上 ←→ ばか

  ○Kにとって

 これは、簡易的に二人の認識の違いを理解するための整理でもあるのだが、実は授業者による意図的なミスリードでもある。こには「私」の根本的な誤解の構造を解き明かしてKの真意に迫る契機がある。

 この対比図には、実は一カ所、誤りがある。どこか?


 ここまでこの対比図を使って説明しておきながら実は「誤り」があるというのは何のことだと皆は思うかもしれないが、授業者の経験では、しばらく考えさせているうちに大抵のクラスではこの「誤り」に気づく者が現れる。

 彼らは先ほどの対比図を考察する段階で、既に違和を感じているのだ。あるいは「僕はばかだ」を言い換える際の「恋に退く」の違和感も看過しがたい。

 「誤り」があると言われてあらためて観直して、違和感を頼りに考えを修正する。


 それでも気づかなければ先に引用した一節をもう一度強調する。

彼には投げ出すことのできないほど尊い過去があったからです。彼はそのために今日まで生きてきたと言ってもいいくらいなのです。

 そして既にみんなが確信している「覚悟=自殺の覚悟」という結論から逆算する。

 すると?


 先の対比図における「道」の対立項が「恋」であることを訂正しなければならない。

 そもそも「道/恋」という項目は、「私」の視点からのみ見えている対立項なのだ。他の三項目がそもそも対義的であるのに比べ、「道/恋」は対義語なわけではない。ここまでは「私」が対立項として捉えている項目のいくつかがKにおいては逆になっているのだと考え、「私」とKの認識のずれを捉えようとしてきたのだが、実はこの対立項目そのものがKの認識を適切に表わしていなかったのだ。

 では「道」の対立項は何なのか?


 Kにとって、「道」の対比項目とは、すなわち「死」なのだ。

    進む ←→ 退く

    強い ←→ 弱い

     道 ←→  →死

    向上 ←→ ばか

 とすると「苦しい」についてもあらためて見直さなければならない。

 「私」はこの述懐を「お嬢さんを諦めるのは苦しい」という意味に受け取っているが、Kにとっては「道を棄てることは苦しい」という意味だ、と先に考察した。

 だがこのような解釈では、「私」の捉えたKの苦悩と、K自身の苦悩の間に、実はそれほどの違いはない。

 本当にKが自らの信じてきた道だけが大事なのだとしたら、「退けるのか」と問われたとき言下に「できない(退けない)」と答えればいいだけのことだ。だが「退けない=道を棄てられない」とすぐに答えられずに「苦しい」と言うとすれば、それは、「道」を棄てることの「苦しさ」を示すだけでなく、Kにとって選択肢のもう一方「恋」の重みをも必然的に証し立ててしまう。それほど「苦しい」転向を強いるほど「恋」がKを動かしているということになってしまうからだ。

 これは「苦しい」を、選択に伴う苦悩だと捉える以上、必然的に生ずる論理的機制だ。

 だがそもそも、道を棄ててお嬢さんに突き進むという行動をKが選択肢として想定しているという前提には根拠がない。これ自体が「私」の錯覚なのだ。

 実は本文を、「私」の思い込みを排して読んでいくと、Kが具体的にお嬢さんに対して進みたがっている(そしてそれを信仰が妨げている)と見なせる記述はない。ただ「私」の疑心暗鬼だけがそのような選択の迷いを錯覚させているのであり、読者もまたすっかりそうした仮初めの問題の前にKを置いてしまう。

 「私」とKの認識のズレの本質はここにある。

 「私」はKの苦悩を選択することの苦悩だと捉えている。

 だがKにとって少なくとも「恋」と「道」は選択の対象ではない。

 「私」にとって選択はこれから行われる〈仮定〉の問題であり、Kにとっては〈確定〉された現状に対する決着のつけ方の問題だ。

 「退けるのか」という問いに答えるのが難しいのは、それだけ「退く=道を棄てる」ことが難しいということなのではなく、「お前は退いた自分をどうするのか」、という問いかけがその後ろに控えていることをK自身が自覚しているからだ。「苦しい」というKの言葉には、退いた先にある「自己所決」が既に含意されているのだ。

 こう考えてみると「精神的に向上心のないものは、ばかだ」の言葉の意味する「残酷」さが本当に明らかになる。図らずもKの現状認識を追認した「精神的に向上心のないものは、ばかだ」という言葉は、Kにとって、まるで死刑宣告にも等しいものだったのだのだ。


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