2023年11月9日木曜日

こころ 16 -主題

 ようやく「こころ」を読むための、物語全体の流れ、時間感覚が共有できた。

 だが小説の細部に分け入る前に、もう一つやっておくことがある。

 これもまた「こころ」という小説の全体(とはいえ教科書に収録されている部分が既に「こころ」の一部に過ぎないのだが。とりあえずその範囲の「全体」)を把握する視点についての確認だ。

 授業前の宿題として次の二つの問いについて考えておいた。

問1 「こころ」の主題は何か?

問2 Kはなぜ自殺したか?

 この二つの問いはどのような関係になっているか?


 既にブログの最初の記事でも確認した。課題前に目を通すように指示した。

 そこでは、なぜこの二つの問いを投げかけたかという狙いを語ったつもりだ。

 さて、実際に授業がこの展開にさしかかったとき、この問題についてあらためて趣旨を確認した。

 繰り返し言っている通り、主題・テーマというのは、そのテキストなり物語なりを、そう捉えたのだという把握の「表れ」だ。それはどういう話? と聞かれた時の答え方だ。

 これはもともとそのテキストに主題が内在しているというのとはちょっと違う。確かにその「可能性」はテキスト中にあったかもしれない。だがなにはともあれ、それをそのように捉えた受容者がいなければ主題は存在しない。

 ということは受容者によって主題はさまざまな形をとりうるということだ。

 だがそれは何でもアリなのだということではない。それはそのテキストの可能性の範囲内で適切でなければならない。そうでなければ、そもそも受容ですらない。


 一方、「どういう話?」という問いかけに対して、粗筋を語ることもできる。粗筋具体レベル、主題抽象レベルで、それぞれ「どういう話」かを語っているのだ。

 教科書の収録部分で「こころ」を読み、その粗筋を語ろうとすると、終わりはKの自殺で締めくくられるはずだ。その時、その自殺がどのようなものかについて語らないということはありえない。唐突にKが死んだとだけ付け加え、そこに至る因果や必然性がまるで示されてなければ、相手は「なにそれ?」と言うだろう。

 となると、何らかの形で、その死がどのようにもたらされるかを語るはずであり、それはすなわちその人が「こころ」をどう把握したかに基づいているはずだ。


 したがって、「主題」と「自殺の動機」は論理的に整合しているはずだ。物語の展開の必然性として「自殺の動機」を把握し、それを抽象化したものが「主題」であるはずだからだ。


 ところで世間では「こころ」はどういう話だと思われているか?

 文庫本には裏表紙やカバーの折り返しに簡単な内容紹介が載っている。

 「こころ」のは例えばこんな感じ。

  • 友を死に追いやった「罪の意識」によって、ついには人間不信に至る近代知識人の心の暗部を描いた傑作。(ちくま文庫)
  • 近代知識人のエゴイズムと倫理観の葛藤を重厚な筆致で掘り下げた心理小説の名編。(講談社文庫)
  • エゴイズムと罪の意識の狭間で苦しむ先生の姿が克明に描かれた、時代をこえて読み継がれる夏目漱石の最高傑作。(角川文庫)
  • かつて親友を裏切って死に追いやったという過去を背負い、罪の意識に苛まれつつまるで生命を引きずるようにして生きる「先生」(岩波文庫)
  • 文豪・夏目漱石が人間のエゴイズムに迫った名作(イースト・プレス)

 これらは「こころ」は「こういう話」だと紹介しつつ、読者の購読意欲を喚起する惹句でもある。

 もちろん内容紹介全体には「あらすじ」的な部分もあるが、上は主に「主題」的な部分を抽出してある。


 あるいは高校生が教科書とともに購入する「国語便覧(国語要覧・国語総覧)」の類ではこんな風に紹介されている。

  • 人を傷つけずにはおかぬ恐ろしいエゴイズムと、それゆえに犯した罪に対する苦悩、そして死をもっての清算を描いた作品。(浜島書店)
  • 人間のエゴイズムを追及した(数研出版)
  • 近代人のエゴイズムが絶望に至る過程を描いて見せた作品。(第一学習社)
  • 恋愛と金銭の問題をめぐる人間の我執(エゴ)を鋭く追及しつつ、日本近代への批判をも提示した作品(大修館書店)
  • 人間が持たざるをえないエゴイズムの醜さと、それを救済するには死以外にはないとする、明治の知識人の苦悩が描かれている。(東京書籍)

 あるいはおなじみの「Wikipedia」ではこんな感じ。

人間の深いところにあるエゴイズムと、人間としての倫理観との葛藤が表現されている。

 これらに頻出する言葉は一目瞭然、「エゴイズム」だ。

 「エゴイズム」?

 上では「我執」という言い換えもあるが、一般的には「利己心」とか「自己中心主義」などという意味で理解されている(本文中に「利己心」という言葉が登場する)。

 「文学」はこの「エゴイズム」がどうにも好きで、「羅生門」も「生きるために人間が持たざるをえないエゴイズムを描いている」などと一般的には言われている。来年読む「舞姫」も「エゴイズム」で語られる。


 では「こころ」のテーマが「エゴイズム」であると把握されているとはどういうことか?


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