2023年11月30日木曜日

こころ 32 -「復讐以上に残酷な意味」

 「精神的に向上心のないものはばかだ」の意味は、「私」とKとの認識の違いによって、「私」には思いもかけない作用をKにもたらす。

 それはどのようなものか?


 まず「私」の認識について確認しておく。

 この言葉は「私」にとって「復讐以上に残酷な意味をもっていた」と語られている。

 この「復讐」とは何か? また「復讐以上に残酷な意味」とは何か?


 「復讐」については、この言葉がKから発せられた房州旅行の場面を読んでいない皆には若干考えにくいが、教科書本文からでもある程度の推測はできる。

 「私」はかつてこの言葉によってKに軽侮され、自尊心を傷つけられた。「復讐」とは同じことをKに仕返すことを意味している。

 一方「復讐以上に残酷な意味」とは、続く一文で「私はその一言でKの前に横たわる恋の行手を塞ごうとしたのです」と解説されている。

 「以上」で示される大小関係についてはっきりと認識しておきたい。

 つまり「私」は、Kの自尊心を傷つけることより、Kの「恋の行手を塞ぐ」ことの方が「残酷」だと認識しているのだ。

 これはその前の会話における「苦しい」の解釈と論理的に整合している。

 Kの「苦しい」は「私」にとって「お嬢さんを諦めるのは苦しい」という意味に解釈される。それが「実際彼の表情には苦しそうなところがありありと見えていました。」と強調されている。

 お嬢さんを諦めることがこれほど「苦しい」と言っているKをそこに追い込むのは、確かに「残酷」だ。


 もう一点指摘するなら、確かにK自身の言葉をKに投げ返すという構造の持つ「残酷」さもある。自分の言葉が自分を縛り付け、傷つける。巧妙で残酷な方法だ。だがそれだけではない。

 この「苦しい」は「私」が思っているような意味ではない。Kはお嬢さんを諦めることが「苦しい」などと答えたのではない。

 ここからこの「復讐以上に残酷な意味」についても、さらにもう一つの意味を読み取ることができる。「私」がまったく意識することなく、そしてまさしくそれこそが真に「残酷」であるような意味が。

 しかもそのことを指し示すうってつけの表現が、教科書の見開きから見つかる。何か?


 最も適切に、端的にそれを表現するなら、こうだ。

彼がせっかく積み上げた過去を蹴散ら(す)

 これがどれほど「残酷」かは、次の一節によって保証される。

その頃は覚醒とか新しい生活とかいう文字のまだない時分でした。しかしKが古い自分をさらりと投げ出して、一意に新しい方角へ走りださなかったのは、現代人の考えが彼に欠けていたからではないのです。彼には投げ出すことのできないほど尊い過去があったからです。彼はそのために今日まで生きてきたと言ってもいいくらいなのです。

 「私」は全く自覚なしに、Kの「そのために今日まで生きてきたといってもいいくらい」「尊い過去」を蹴散らしたのだ。

 そしてここでもまた、Kの言葉がKに自身に返ってくることの残酷さもまた発揮されている。K自身の過去が、今Kの過去そのものを蹴散らしてしまったのだ。

 それこそがこの言葉の持つ「残酷」さだ。


 だが全く皮肉なことに、「私」にはそのことがわかっていない。

 むしろ「私はこの一言で、彼がせっかく積み上げた過去を蹴散らしたつもりではありません。かえってそれを今までどおり積み重ねてゆかせようとしたのです。」というのが「私」の意図であり、認識なのだ。

 「復讐以上に残酷な意味」という表現がそれ以上の意味を含意していることに、漱石は自覚的だ。「復讐」と「復讐以上に残酷な意味」という表現によって重ねられた「意味」について読者に考えさせる注意喚起は、その延長上に読者の思考を誘う。

 この、書いてあること自体が、実は全く逆の意味へ読者の解釈を誘導するという高等技術は、ここだけでなく、他にもあちこちに仕掛けられている。これも、「私」にそれを認識させずに、読者にだけその真相を知らせる必要があるという「こころ」の特殊な構造によって考え出されているのだが、そもそも表現というのは必然的にそれと逆の意味をその背後に生み出してしまうものでもある。紙の表は裏なしには存在しない。「ない」と言われると「ある」状態を想像してしまう。「絶対ない」などと言われると「実はあるんじゃないか」と思ってしまう。

 もちろんそれは注意深く読む読者によって発見される「裏」ではあるのだが。


 「精神的に向上心のないものはばかだ」という言葉は、確かに「復讐以上に残酷な意味」をもっている。「私」が考えもしなかったような「意味」で。

 Kの関心が、最初から一貫して自らの裡なる苦悩に向けられているとすると、Kに対して「私」が「厳粛な改まった態度」で「言い放」った「精神的に向上心のないものはばかだ」なる台詞は、Kの苦悩をそのまま追認するものであり、いわばKの存在をまるごと否定してしまっているのだ。


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