さて、文章の読解に活かせる方法的思考は、ここまでにいくつか実践してきたが、中でも多用される方法で、しかもこの文章が典型的にそれを活かせる文章だという、あの方法は、直ちに思い浮かんでいなければならない。
何?
いうまでもなく「対比」だ。
「永訣の朝」でも「なぜ頼んだのか?」の考察と「ふってくる/沈んでくる」の違いの考察で対比を用いたが、あれは対比される言葉を自分たちで考えた。
一方、評論の場合は、まずは文中に出てくる語句を対比図に振り分ける。そうすることで文章の構造を見えるようにする。
この文章はどうみても対比的に考察が進んでいる。そうした対比を示す言葉が文中に散らばっている。それらを取り上げて整理し、通観する。
振り分けるため、またそもそも探すため、対比される領域にラベル/見出しをつけておくと便利だ。文脈から対比されていることがわかるが、それが何の対比なのかがわからない場合もあるが、この文章の場合はいうまでもなく「である/する」だ。
本文から、「である/する」のどちらかに分類できる表現を探し、本文にマークするとともに、ノートに書き出す。どちらも必要な作業だ。マークしてあれば、本文を読むときに頭が整理された状態で内容を把握できるし、ノートに書き出しておくと、一覧してその共通性が把握できる。
さてしばらくはそうした頭の使い方に慣れるために、実際にやってみる。
挙げる(マークす)べき語は次のような語句だ。
- 抽象語・概念語
- 具体例・比喩
- 形容
これらは排他的な三つではない。「客観的・主観的」などという定番の対比は抽象語でもあるし「的」がつけば形容だ。「~のような」といった比喩は形容でもある。
ポイントは、どちらかに振り分けられる特徴的な表現かどうかを判断することだ。判断は語義に基づく場合と、文脈に基づく場合がある。両面から考えて一致するのが望ましい。
まず第一章から挙げてみる。「債権者である/請求する」は「である/する」に傍点がふってあるから、明らかにそうした対比を表している。
だがそれよりも、ここでマークしておくことに価値があるのは「債権者であることに安住していると」の「安住する」だ。これはもちろん「時効を中断する」と対比されているからそちらもマークしてもよい。だが「時効を中断する」は汎用性がない。「する」論理を表すには表現が限定的すぎる。それに比べて「安住する」は次の頁にも使われる。
「安住する」に比べて「債権者」は「である」論理を表しているわけではない。「である」がついているから「である」なのであって、「債権者である」と同様に「債権者する」状態を想定することもできるからだ(日本語としては不自然だが趣旨はわかる)。「請求する行為によって時効を中断する」はまさに「債権者する」ことだ。その意味で「債権者」という言葉はそれ自体ではどちらにも振り分けられない。
それに比べて「安住する」が「する」論理を表すことはない。だからこの言葉を「である」論理を表現しているとみなしてマークしておくことは有意義なのだ。
次頁ではこの「安住する」が「行使を怠る」と言い換えられるから、逆に言えば「行使」は「する」だ。
さらに次頁では「行使」が「祝福」と対になる。
同様に「不断の努力」を「する」に挙げたい。ここでは「努力」よりも「不断の」という形容の方が重要だ。次の章で三回も出てくる。
また「置き物」を「である」に挙げる。「ねむる」も「安住する」も「祝福する」も置き物も、対比の性質を示す比喩だ。
個別の箇所の判断は、詳述していけば上記の様に、なぜどちらかに振り分けられるかの説明がつくが、実際には読みながら、何となくわかる、といった程度で構わない。挙げていくと、その共通性からどちらかであることが判断できるようになる。
第一章全体でこんなかんじ。
- である/する
- 眠る/
- 安住する/行使する
- 祝福する/行使する
- 置き物/不断の努力
- 惰性を好む/
- よりかかる/立ち上がる
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