このまま後半(244頁~)の対比もとってしまおう。
ここから後の本文中にも、「する」論理を表す既出の「不断」「機能と効用を問う」が頻出する(微妙な言い換えも含めて)。
- 効用と能率原理
- 有効に時間を組織化する
- 効果と卑近な「実用」の規準
- 果たすべき機能
- 不断に忙しく働いている
一方の「である」論理・価値を表す語句としてとりあげておきたいのは次のような表現。
- かけがえのない個体性
- それ自体
- 蓄積
こうした対比を表す表現として「花/果実」という比喩が登場する。
この比喩によって表される意味合いを説明してみよう。
この比喩が「である/する」に対応することは文脈からわかる。文脈の論理を正しく追えていることは、評論の読解には必須条件だ。
それと、語句の意味合いとを対応させる。なぜ「花」が「である」で、「果実」が「する」なのか?
いくつかのクラスで次のような説明が発表された。
- 花は果実になる過程であり、果実は結果だから。
- 花は見るだけだが、果実は食べられるから。
前の説明は「する」=「業績」となじむが、「プロセス」と相反する。
後の説明は「食べる」が「する」なのはいいとして、「見る」はなぜ「する」ではなく「である」なのかが不明確。
さてどう言ったらいいか?
「果実」には、「おいしい」とか「栄養がある」などという「効用・効果・実用性・機能」がある。
一方「花」は食べられない。「効用・効果・実用性・機能」的価値よりも、そこに「美」を見出す者にとっては「それ自体」に価値がある、と言っているのだ。
こんなふうに、文中から挙げられている「である/する」を表す語句を使う。挙げる語句の有用性は、説明や考察に使えるということだ。
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