2023年12月6日水曜日

こころ 44 -「墨の余りで書き添えたらしく見える」

 仮説5の解釈を授業で聞いたとき、授業者が言下に否定するために挙げた根拠は、Kの遺書の「最後に墨の余りで書き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句」(139頁)だった。

 この「文句」は内容的に、どうみても自殺の直前に書かれたものに見える。こんなことを書いてから、10日あまり経ってようやく自殺したなどという「真相」を受け入れることはできない。そしてそれは「最後に墨の余りで書き添えた」ものなのだ。したがってこの遺書は、やはり自殺の直前に書かれたとしか考えられない。

 とすればこの手紙はやはり自殺の直前、土曜の晩に書かれたものに違いあるまい。


 だが考えているうちにそうではないことに気づいた。仮説5を否定するための根拠として挙げたこの記述こそが、そもそも当該生徒に仮説5を発想させた手がかりであり、またその妥当性を証明する最大の根拠なのだ。

 発想の転換のためには、こう考える必要がある。

 「墨の余りで書き添えたらしく見える」とは、「私」に「らしく見える」に過ぎない。「墨の余りで書かれた」というのは、小説内において何ら確定された事実ではない。

 「こころ」に書かれていることは、実は常に「私」の目を通して判断されたものに過ぎず、客観的なものだとは限らないというのが「こころ」読解の基本ルールであった。そのことは上野公園の散歩の会話の分析でもいやというほど思い知らされたはずだ。


 ここからわかる「事実」は、その文句とその前までの遺書の文面との間に、何らかの差異が認められるということだけだ。つまり、それが前の部分に続けてすぐに書かれたものだということは、この記述からは何ら保証されていないのだ。

 だとすればそこだけは自殺を決行した土曜の晩に書き加えられたものであって、それ以外の部分はもっと以前に書かれたものであっても構わない。

 「墨の余りで書き添えたらしく見える」という形容こそ、この部分とそこまでの部分の時間的連続性を表面的には示しながら、同時に、時間的断絶をこそ示すサインなのだとも考えられるのだ。

 つまり反証と考えられたものが、そのまま根拠にもなりうるのだ。


 「墨の余りで書き添えたらしく見える」とは具体的にはどういうことか?

 「事実」の具体的な様相を想像してみよう。

  1. それ以前の文章に比べて墨が薄い。かすれている。
  2. 字の大きさが前の部分と違う(大きい・小さい)。乱れている。
  3. この部分だけ余白が不自然に狭いなどレイアウト上アンバランス。
  4. 他の部分が「礼」や「依頼」といった、「私」へ向けたことが明白な文章であるのに対し、この部分だけが独り言のような内容だ。
  5. そこまでが堅い文語調なのに、ここだけが口語調になっている。

 「墨の余りで」から想像される具体的状態として、まず1が思い浮かぶ。

 だがそれ以外に2~5のような特徴がなければ、「私」がそれを「書き添えた」ものだと判断する理由がない。

 23も視覚的イメージとして想像されてもいい。

 4はある程度の分析的思考が必要だ。前の部分が「必要なこと」であるのに対して、この部分は意図が不明確な独り言のような文言だ。

 5については解説が必要だ。

 先生の遺書(「下」本文)が「西洋紙」に「印気(インキ)」で「縦横に引いた罫の中へ行儀よく書いた」、「原稿様のものであった」のに対して、Kの手紙は「巻紙」に「墨」で書かれたものだという対照はおそらく、先生の遺書が口語体(言文一致体)であるのに対し、この手紙が文語体の「候文(そうろうぶん)」であったことを示している。

 「候文」とは、文末に「候」が補助動詞として付けられる手紙独特の文体のことだ。漱石の「吾輩は猫である」から引用する。

 主人が書斎に入って机の上を見ると、いつの間にか迷亭先生の手紙が来ている。

新年の御慶目出度申納候(ぎょけいめでたくもうしおさめそうろう)。……

 いつになく出が真面目だと主人が思う。迷亭先生の手紙に真面目なのはほとんどない。それに較べるとこの年始状は例外にも世間的だ。

一寸参堂仕り度候えども(ちょっとさんどうつかまつりたくそうらえども)、大兄の消極主義に反して、出来得る限り積極的方針を以て、此千古未曾有(このせんこみぞう)の新年を迎うる計画故、毎日毎日目の廻る程の多忙、御推察願上候(ごすいさつねがいあげそうろう)……

 なるほどあの男の事だから正月は遊び廻るのに忙がしいに違いないと、主人は腹の中で迷亭君に同意する。

 同じく漱石の「三四郎」の中には「母に言文一致の手紙を書いた」という記述がある。つまり手紙が言文一致で書かれることは特に記述すべき事柄なのであり、裏返せば原則的には手紙は「候文」で書くものなのだ。

 もちろん相手と手紙の性格によるのであって、残っている漱石の書簡には、候文のものと口語文のものとがある。友人や年下の相手には口語文で、あらたまった手紙は候文だ。

 したがって、Kの性格から考えても、この遺書は候文で書かれたと考えられる。

 そしておそらく「もっと早く…」の部分だけは口語体で書かれている。4のように「独り言」じみた内容を候文で書くのは不自然だ。


 だがこうした123「外見」や4「内容」や5「文体」による差異によって、この文句が特別な位置にあることが読者に意識されるわけではない。

 この文句はそれよりむしろ「私の最も痛切に感じたのは」という反応に沿って読者に解釈される。つまりそこにKの心情/真情、Kの悲痛な心の叫びを読み取る、といったような情緒的な読みだ。

 だから、この部分について考えるにしても「Kはなぜこの文句を書いたのか」というような問いになる。例によって「この時のKの気持ちを考えてみよう」だ。

 もちろんそれは考えるべきことだ(特にKの自殺の動機を考える上で、この「文句」を書いた心理を考えるのは非常に重要であり、そしてそれはかなり難問でもある。この後でそれを考察する)。

 だが同時に、こうした意味ありげな符牒は、この部分とそれ以前の文面が別な機会に書かれたものだという「真相」を読者に知らせようと作者が置いたサインなのだとも考えられるのだ。

 これもまた先に述べた、登場人物の心理に終止せずに、それが語られる物語上の「意味」を捉える発想だ。


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