エピソード②について、Kの遺書が上野公園の散歩の夜に書かれていたことを示す、という解釈を示した。
この場合、問②「Kの意図」はどうなるか?
仮説4に伴う②の解釈「何か話したかった(私に対して心のつながりを求めている)」は否定できないのでそのまま認める。そのうえで、何か意図があるかといえばおそらく、ない。従って仮説3に伴う解釈「何でもない」でもいい。Kにはどうしようという意図もないのだ。
同時に、意図ということでないなら、仮説1,2に拠る「眠っているか/眠りの深さを確かめた」でもいい。自殺を決行するための確認だと考えないならば。
「謎の記述」の②「近頃は熟睡できるのか」というKの問いは、K自身があまりよく眠れていないことを示していると考えられる。必ずしも自殺の準備のための問いだと考える必要はない。自分は安らかな眠りから遠ざかっている。一方、お前は? と問うているのだ。
ところで、一般的な解釈1「Kがこの晩に自殺しようとしていたことを示す」及び2「自殺の準備」説は、「遺書が書かれていた」と矛盾しない。このことについてどう考えるか?
前述の通り、1の方が戦慄を伴う納得があって、エピソードとしての立ち上がりが鮮やかだが、2の方が整合的で無理がない。
授業者はもともと、どちらの説にも賛成できないと考えていた。Kの死には、やはりどうしてもエピソード④⑤⑥の展開が物語の力学的に必要だと考えていたからだ。
だが、仮説5を基本として、あらためて仮説1,2について考えてみて、今年度はいくらか考えを変えた。
まず仮説2「自殺の準備」を単独で採ることはできない。エピソードとしての立ち上がりに欠けて、十分な「意味」があるという手応えが得られないからだ。無理はないことは、必要であることを保証しない。
そして仮説1は、「自殺しようとした」と、Kの意図を前提とすると受け入れがたいが、仮説5を前提とする限り、あってもいい展開であると思えてきた。つまりKが自殺を決行しようとして、隣人が眠っているかどうかを確かめたのだとは思えないが、それでも、遺書を書き終えたKが隣室との仕切りの襖を開けて声をかけ、その時、隣人が目を覚まさなかったら、その実行を止めるものはなかったかもしれないのだ。
未解決の問題、③「強い調子で否定する」は?
これについての納得できる解釈は今のところ次の二つ。
一つ目。
前日に上野公園でKが口にした「覚悟」という言葉は、「私」にとっては「お嬢さんを諦める覚悟」のことだ。そうKに言わしめた「私」は「勝利」「得意」を感じている。
だがKにとって、昼間口にした「覚悟」は「薄志弱行で到底行く先の望みはない」自分への決着のつけ方としての自己所決の「覚悟」だ。Kにとって「覚悟」とは、その言葉にふさわしい重みをもっているのだ。
この言葉の重みが「私」の疑いに対するKの否定の強さに表れているのではないか。
つまりこの否定の強さによって、追い詰められたKの心理と、この言葉の重みがわかっていない「私」のすれ違いを読者に伝えようとしているということになる。
二つ目。
「そうではない」は「私」の「あの事件について何か話すつもりではなかったのか」という問いかけに対する返答だ。この間接話法が曲者だ。
「私」はこの問いかけを具体的にどのような表現でKに投げかけたのだろうか?
もしもそれが「お前は昨夜、まだお嬢さんのことを話すつもりだったんじゃないのか」というように問われたとすれば、Kは明確に「そうではない」と言うはずだ。
確かにKが前日に話したかったのは「そう(お嬢さんのこと)ではない」。「あの事件」とは「私」にとってはお嬢さんの話なのだと認識されている。だがKが話したかったのは自らの信仰の迷い、己の弱さのことだ。
そしてこの食い違いがKの強い否定となって表れているのだ。
さて、重要な会話の交わされた上野公園の散歩の夜のエピソードについて、Kの自殺につながる重要な解釈をしてきた。
この解釈は、小説中に直接的には描かれていない時間について読者が想像することの妥当性を試す。
果たして「私」が目を覚ますまでKは何をしていたのか。
そしてそれを考える妥当性とともに、その必要性についても注意を喚起する。
例えば、自殺の直前にKが「私」の部屋との間を隔てる襖を開けて、「私」の顔を見下ろしていたであろう時間。
例えば、奥さんから「私」とお嬢さんとの婚約の話を聞いてからの「二日余り」の時間。
これらの時間のKについて想像することの妥当性と必要性に納得できたとき、読者は、小説の中で直接的には描かれていない時間の存在を想像することが許される。
小説の描く物語は、そこに描かれていない時間をも含んで成立している。
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