2023年12月8日金曜日

こころ 50 -空白の「二日余り」

 Kの自殺の動機について、読者がどのようにミスリードされているかをあらためて確認しておく。


 Kはお嬢さんが友人と結婚することを知って自殺したのだ、と考えるのは、読者として自然なことだ。それは語り手である「私」がそのように考えているからだ。「私」はそのような認識によって行動し、そのような理解に基づいた記述をする。その語りから小説内世界を把握するしかない読者がその認識を共有するのは当然だ。

 だが「こころ」という小説の場合、語り手は作者という創造神の代弁者ではなく、一人の登場人物だ。そこで語られる事柄は、あくまで「私」がそのように認識している、ということだ。だから「こころ」という小説においては、語り手の認識は括弧に入れて留保しなければならない。

 たとえば次のような一節を、読者はうかうかと読んではならない。

奥さんの言うところを総合して考えてみると、Kはこの最後の打撃を、最も落ちついた驚きをもって迎えたらしいのです。(137頁)

 婚約の件をKに話してしまったと奥さんに告げられた後の、Kの様子を語る一節だ。そしてこの記述の後にKは死んでしまう。

 ここに使われた「最後の打撃」という表現は、婚約という事実がKを死に追いやった原因であることを示している。このような表現によって、読者はそのような因果関係を自然に受け取ってしまう。

 だがこれは「私」が、婚約の件をKに知られることを怖れていたことと、この後すぐにKが死んでしまったことから逆算された因果によって導かれた表現だ。

 そしてこうした認識に基づいて、Kの様子は「最も落ち着いた驚き」「彼の超然とした態度はたとい外観だけにもせよ、敬服に値すべきだと私は考えました。」などと表現される。

 だが表現されていることを括弧に入れ、「私」が認識していることを疑ってみるならば、Kが奥さんの話をどのような思いで聞いたのかは、全体の整合性の中で考えなければならない。


 その時浮上するのは、奥さんの話を聞いてからの「二日余り」のKの沈黙だ。

 この「二日余り」について考えることは、Kの自殺の心理を考える上ではきわめて重要だ。だがそのことは読者の目から巧妙に隠されている。

 このミスリードのトリックについては「曜日の確定」の考察段階で確認した。

 エピソード⑤「奥さんがKに談判の件を話す」と⑥「奥さんが私に⑤の件を話す」は入れ子構造になっていて、読者にはそれらが同時に提示される。だから読者は、「私」とお嬢さんの婚約を奥さんから聞かされてすぐにKが自殺したと理解してしまう。

 だが実際には、Kが婚約を知ってから自殺を決行するまでには、⑤の木曜日と⑥の土曜日の間で「二日余り」の時間が経過している。「すぐ」ではない。にもかかわらず読者の印象としてはあたかも婚約と自殺決行は「すぐ」というほど近接しているように感じられる。

 婚約の事実がKにとっての「最後の打撃」と表現されているのも、そうした時間感覚の混乱とそれゆえの因果関係をさりげなく補強するものだ。読者も「私」とともに作者のミスリードの術中にはまっているから、「最後の打撃」という表現に違和感を覚えることなどできはしない。

 こうしたミスリードによってKの死因を「失恋」と思い込まされる読者は、新たに示された「淋しさ」という死因についても、否定したはずの「失恋」の延長上で捉えてしまう。

 「淋しくってしかたがなくなった結果、急に所決した」という時の「急に」も、奥さんから「私」とお嬢さんの婚約の話を聞いて「急に」なのだと解釈されるから、①「失恋」と③「淋しさ」の混同は意識されない。


 このような思い込みにしたがって、「私」はKの残した手紙の内容をあらためずにはおれなくなる。「私」にとってKが死んだのは自分の卑怯な行いのせいであり、その告発をお嬢さんや奥さんに知られてはならないと「私」は思い込んでいる。そんな切迫感に取り憑かれた「私」の行動は、「私」の「エゴイズム」を浮き彫りにしこそすれ、こうした思い込み自体が間違っている可能性から、読者の目を逸らしてしまう。

 手紙の中に「お嬢さんの名前だけはどこにも見え」ないのは、たんにKの自殺の動機にお嬢さんが関係ないからなのに、「Kがわざと回避したのだ」と「私」が考えてしまうから、逆に読者はお嬢さんこそ自殺の要因なのだと受け取ってしまう。

 また、Kの自殺を奥さんに告げに行った際にも思わず「済みません。私が悪かったのです。」と手をついて謝ったり、葬式の際に友人からKの自殺の動機を聞かれた時も「早くお前が殺したと白状してしまえという声を聞いた」りする。

 こうした「私」の罪悪感を根拠として、Kが死んだのはお嬢さんと「私」の婚約を知ったからだ、という前提は疑いようもない事実として認定されてしまう。


 だがKが婚約の事実を知ってから死ぬまでには、物語の中で語られることなく跳び越えてしまった、いわば空白の「二日余り」がある。

 これは「夜のエピソード」の際の考察でも触れた、物語に描かれていない時間・場面について想像する必要があるかどうかという問題でもある。「夜のエピソード」では、それについて想像することで「遺書が書かれていた」というエピソードとしての「意味」が立ち上がってきたのだった。

 授業における精読によってKの自殺をK自身の問題(②「現実と理想の衝突」)だと考え、Kの自殺の「覚悟」は、お嬢さんの婚約のはるか以前からKの心の裡にあったのだと考えるなら、自身の問題として自らを所決する「覚悟」をしていたKが、なぜそれを口にしてから(ましてや遺書をしたためてから)十日あまりも実行しなかったのか、そして婚約成立の話をきいてからなぜ自殺を決行したかという問題を再考しなければならない。

 それには友人とお嬢さんの婚約を知ってから自殺を決行するまでの空白の「二日余り」にKの心の裡に起こったドラマを追うことは避けて通れない。

 「たった一人で淋しくってしかたがなくなった結果、急に所決した」の「急に」もまた、空白の「二日余り」を考えることでその本当の意味を捉えることができる。


0 件のコメント:

コメントを投稿

よく読まれている記事