もう一つ、考慮すべきなのは、Kの遺書の最後にあった「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句」だ。
ここからKの心理を読み取るべきだと考えるのは自然だ。他の部分がよそよそしい「用件」であるのに対して、ここだけは何やら本音らしき感触がある。
これ以外の部分は、自殺実行の12日前の月曜の晩に書かれたものだという解釈を共有してある。遺書にある「薄志弱行で到底行く先の望みがないから、自殺する」は、その日の昼間Kが「私」に言った「自分が弱い人間だのが実際恥ずかしい」「僕はばかだ」を整理して反復したものであり、自ら口にした「覚悟」の確認として書かれているということになる。
このことはKの自殺の基本的な動機が前節の②「現実と理想の衝突」によるものであり、その意味ではお嬢さんと「私」の婚約に関係ないことを示している。遺書が書かれたのは「私」と奥さんの「談判」の一週間前のことなのだから。
もちろん、Kにとってはお嬢さんの婚約が問題なのではなく、お嬢さんを好きになったこと自体が問題なのだから、Kの自殺の動機にお嬢さんが無関係だとは言い切れない、と言うことはまだ可能ではある(それもまた「私」視点のバイアスから逃れていないが)。
だが遺書の本文が前の週に書かれていたという解釈は、少なくとも、Kは「私」とお嬢さんの婚約を知ったから自殺したのだ、というミスリードから読者を解放する。
それとともに、この解釈は、遺書を書いた後に襖を開けたKと、そこに「もっと早く…」と書き加えた後に同じように襖を開け、その後で自殺を決行したKの姿を重ねることを要求する。
この「文句」からは、Kの死の動機を考えるどのようなヒントを読み取ればいいのだろうか?
従来この「文句」については、たとえば「もっと早く」とはいつのことか、といった問題が考察の対象となってきた。
前述の前提に拠れば、その一つの解釈としてこの遺書の本文を書いた12日前を指しているのだと言うことも可能だ。遺書まで書いておきながら「なぜ」「もっと早く」実行しなかったのか、と言っているのだ。
この解釈は、ではなぜこの晩は実行に移したのかという疑問とともに、逆に「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろう」というK自らの疑問に対する答えを要求する。
なぜ遺書まで書いたのに実行はしなかったのか?
この疑問については一つの答えがある。それは「私」が目を覚ましたから、というようなことではない。あるいは、何かがKを思い止まらせたということでもない。単に「覚悟」はあくまで「覚悟」であって、すぐにそれを実行に移すという「計画」や「決意」ではないからだ。
Kは「弱い自分をどうするつもりか」という問いに「そんな自分を所決する覚悟はある」と答えているのであって、それを書面に書き付けることがこの晩のKには必要だったのだ。
「けれども彼の声は普段よりもかえって落ち付いていたくらいでした。」という描写はそのことを意味している。だからなぜ実行しなかったかといえば、それを実行に移す充分な動機がその時点でのKにはなかったというに過ぎない。
これは心理的な問題だと同時に物語的な必然だ。Kが自殺するには、やはりその後の展開が必要だったのだ。
そしてこの「覚悟」を言明させたKの自殺の動機は、もちろんその日初めてKの裡に宿ったわけでもない。下宿に来る前の「神経衰弱」から既にKの裡にはその思いが宿っている。とすればその動機にお嬢さんが関係ないことは明らかだ。
お嬢さんの存在が動機に関わっているとしても、たとえば房州旅行の際の次の一節がKの「覚悟」の先触れであることは明らかだ。
ある時私は突然彼の襟首を後ろからぐいとつかみました。こうして海の中へ突き落としたらどうすると言ってKに聞きました。Kは動きませんでした。後ろ向きのまま、ちょうどいい、やってくれと答えました。私はすぐ首筋をおさえた手を放しました。(「下/二十八」)
これは「K」が実際に自殺することになるなどとは読者が知らぬ時点で語られたエピソードだから、読者はさしたる緊張感を持たずに読み流すかもしれない。遺書の筆者だ「私」は無論この先に「K」の自殺があったことを知っているにもかかわらず、ここではこのエピソードの重要さを意図的に伏せて――言わば「とぼけて」――何も知らない読者と同じ視点でしか語っていない。
だが、振り返って見直すと、この時の「K」の「ちょうどいい」は、後の「覚悟」を先取りしていると考えるべきなのであり、「もっと早く」というのならこの時点を指してもいいし、先述の通り下宿する前をすら指していると考えていい。
冒頭に提示したKの「死因」のうち、②「現実と理想の衝突」こそ「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろう」という自問の中の「死ぬべき」根拠だ。
そして、ではなぜ問題の晩は実行に移したのかという疑問に対する答えが③の「たった一人で淋しくって仕方がなくなった」から、ということになる。これこそ「遺書を書いたのになぜ実行しなかったのか」という疑問の答えでもある。遺書を書いた時点では③ではなかったからだ。
この「淋しさ」とは何か?
この遺書への追加の述懐に込められた心理とはどのようなものか?
どのような契機がKを自殺の実行へと駆り立てたのか?
以上、いくつかの論点が整合的に組み合わされるように「Kはなぜ死んだか?」を論ずる。
小さなポイントを二つ加える。
上に、「もっと早く…と書き加えた後に襖を開け、その後で自殺を決行した」と書いた。確かにエピソード②では遺書を書いてから襖を開けて声をかけたに違いない。だが、自殺の晩は逆の可能性を考えなくていいのだろうか?
つまり襖を開けた後に「もっと早く」と書き加えたのだとは。
もう一点、A組Y君の指摘。「床も敷いてあるのです」のはなぜか?
この点に関する解釈を授業者は見たことがない。
漠然と考えていたのは、なるべく布団に血を吸わせて、片付けが容易なようにKが気を遣ったのだろうということだ(後の章に容易だったことを示す記述がある)。
もう一つの可能性は、Kが普段通りに一度寝ようとしたのだという想像だ。
この想像はなかなかにリアルで怖い。
上記二点、Kの心理を想像する上では結構大事な論点かもしれない。今回初めて認知したのだが。
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