この夜のエピソードには、物語を展開させるはたらきがある。このエピソードによって、「私」が次の行動を起こし、物語が動く。
だが、このはたらきをもってこのエピソードの「意味」が腑に落ちるわけではない。
なぜか?
これではこのエピソードの意味がこのエピソードの前後で完結してしまって、Kの自殺と関連させて解釈しなければならない、という視点がすっぽり抜け落ちてしまっている。何のために自殺の晩にこのエピソードを想起させたのかわからない。
ただ少なくともこのエピソードがそのような「意味」を持っていることは事実であり、否定できない。
ただ、充分ではない、のだ。
仮説3では説明できない、自殺とこのエピソードのつながりについて考えよう。自殺の場面でこのエピソードを想起することを読者に要求する漱石の意図について考えるために、まずは両者をつなぐ糸口を考える。
自殺の場面とこのエピソードの共通点は何か?
最も重要な共通点は、襖が開いていることだ。
「襖」の意味はこれだけでは考えようがない。次のようないくつかの記述を読むことで、このことの意味をはじめて考えることができるようになる。
私は書物を読むのも散歩に出るのも厭だったので、ただ漠然と火鉢の縁に肘を載せてじっと顎を支えたなり考えていました。隣の室にいるKも一向音を立てませんでした。双方ともいるのだかいないのだか分らないくらい静かでした。もっともこういう事は、二人の間柄として別に珍しくも何ともなかったのですから、私は別段それを気にも留めませんでした。/十時頃になって、Kは不意に仕切りの襖を開けて私と顔を見合せました。彼は敷居の上に立ったまま、私に何を考えていると聞きました。(三十五章 教科書の直前)
私はKが再び仕切りの襖を開けて向うから突進してきてくれれば好いと思いました。私にいわせれば、先刻はまるで不意撃ちに会ったも同じでした。私にはKに応ずる準備も何もなかったのです。私は午前に失ったものを、今度は取り戻そうという下心を持っていました。それで時々眼を上げて、襖を眺めました。しかしその襖はいつまで経っても開きません。そうしてKは永久に静かなのです。
そのうち私の頭は段々この静かさに掻き乱されるようになって来ました。Kは今襖の向うで何を考えているだろうと思うと、それが気になって堪らないのです。不断もこんな風にお互いが仕切り一枚を間に置いて黙り合っている場合は始終あったのですが、私はKが静かであればあるほど、彼の存在を忘れるのが普通の状態だったのですから、その時の私はよほど調子が狂っていたものと見なければなりません。それでいて私はこっちから進んで襖を開ける事ができなかったのです。(117頁)
私は遅くなるまで暗いなかで考えていました。私は突然Kが今隣りの室で何をしているだろうと思い出しました。私は半ば無意識においと声を掛けました。すると向うでもおいと返事をしました。Kもまだ起きていたのです。私はまだ寝ないのかと襖越しに聞きました。もう寝るという簡単な挨拶がありました。(略)私はまた半ば無意識な状態で、おいとKに声を掛けました。Kも以前と同じような調子で、おいと答えました。私は今朝彼から聞いた事について、もっと詳しい話をしたいが、彼の都合はどうだと、とうとうこっちから切り出しました。私は無論襖越しにそんな談話を交換する気はなかったのですが、Kの返答だけは即坐に得られる事と考えたのです。(119頁)
上の記述から、「襖」について何が考えられるか?
それぞれの文脈を意識的に読み進めていけば、「襖」が「二人の心の壁(距離・隔たり…)」を表していることはすぐにわかる(「エヴァンゲリオン」でいうところのATフィールドだ、といってわかる生徒は年々減ってきた)。
こういうの何と呼ぶか?
すぐに「象徴」の二文字が脳裡に浮かんだ人は学習の成果が表れている。
ここでの「襖」もまた、「羅生門」における下人の頬の面皰(にきび)と同じく、典型的な「象徴」だ。
「象徴」とは何か?
復習だ。みんな適切に説明できるだろうか。
象徴とは、ある具体物がある抽象概念を表していると見なすことだ。
この場合は「襖(具体物)」が「心の距離(抽象概念)」を「象徴」していると考えられるのだ。
ここからこの場面についてどのようなことが考えられるか?
エピソード②ではKは声をかけて「私」に話しかけている。そのためには襖を開けるのは当然のようにも思われるが、話しかけるだけなら襖を開ける必要はない。実際に119頁では「私」は「まだ寝ないのかと襖越しに聞」く。
とすると、襖を象徴として見ると、襖を開けるという行為はすなわち、Kがこのとき「私」に心のつながりを求めていたことを示す。
つまり、この深夜の訪問はKから「私」への不器用なアプローチだということになる。
この場合、問②についてはどのように表現したら良いか?
敢えて言えば「話をしたかった」が近いか。
そうなると、何を話したかったのか、またなぜ話すのをやめたのか、なぜ翌日、話があったことを否定するのか、という疑問が浮上してくる。
だがそれも、明確に何かを話したかったわけではなく、ただ話しかけたかっただけなのだと考えてもいい。「覚悟」という言葉を口にして、昼間の逡巡に一定のけりをつけたKが、すぐその夜に再開したい話などあろうか。
むしろ明確な用件などなく、それが「私」の目からはKの行動が不可解なものとして映る意思疎通の齟齬が、基本的な「こころ」のテーマを語っている、と考えればいいのではないか。つまりKの「意図」などというものは、このエピソード自体が「意味」ありげなことから要請される、いわば「幻」なのではないか。
では①「エピソードの意味」はどうなるか?
自殺の場面を読む読者にこのエピソードを想起させることで、Kが自殺する前になぜ襖を開けたままにしたのかを考えるための注意を喚起し、あわせてその参考となる、という機能をもっているということになる。
仮説4
問① 自殺に関する襖の意味について注意を喚起し、襖を開けたKの心理を推測させる手掛かりを与える。
問② 「私」に対して心のつながりを求めている。
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