仮説1に対する疑義を回避しようとしているうち、もう一つの仮説にたどりつく。
Kの行動を「いずれ自殺するための準備として、まずは隣人の睡眠状態を確かめた」ものだというのだ。
仮説2
問① Kが自殺の準備をしていたことを示す。
問② 「私」の眠りの深さを確かめようとした。
仮説1において、とにかくこのエピソードを、自殺に関係したものであると考え、Kの意図を「眠り」に関することであると考えている時点で、実は仮説1と2の、未分化な解釈がなされていたと言うべきだろう。疑問や反論などの検討を通して、徐々に仮説2が明確になってくる。
2も、この夜の訪問が自殺と関係のあるエピソードでありうるし、自殺の決行がここから12日後になったことの説明もつく。Kは「私」が簡単に目を覚ますことを確認して、しばらくは決行を延期したのだ。翌朝の「近頃は熟睡ができるのか」とかえって向こうから問う意味ありげなやりとりとも符合する。
ただしこの解釈では、もしも「私」が目を覚まさなかったらKはこの晩のうちにでも自殺を決行していたのだ、という魅力的な想像に戦慄することはできない。
Kはこの晩に自殺するつもりだったのか、この晩はあくまで「偵察」だったのか?
両説は、議論の中で必ずしも区別されているとは限らない。だからみんなの意見を聞いても、どちらが最初に発表されるかはクラスによってまちまちだ。
実は文学研究者や国語教師の間でも、あまり区別されてはいないと思われる。
だが実はどちらを採ろうともまだ納得はしきれない。
仮説1、2いずれにせよ、Kが「私」の睡眠の深さを、自殺の完遂のために必要な条件だと考えていたとすると、実際にKが自殺した晩にKが襖を開けたままにしている理由がわからない。
その晩、Kは襖を開けた後、「私」の名を呼んだのか?
また、わざわざ熟睡の程度を確認してまで、それが障害になるかもしれないと考えるくらいなら、そもそも「私」の寝ている隣室で自殺などしなければいいのだ。
名を呼んだこの晩に「私」が目を覚ましたというのに、遂に自殺を決行した土曜日の晩には結局、隣室で、しかも襖を開けて事に及んだのでは、この「偵察」が無意味になってしまう。
つまり、このエピソードを「自殺」に関連させて解釈するだけでなく、むしろKがなぜ襖を開けたまま自殺したのかという問題を、Kの自殺の晩の解釈と関連させて考えなければならないのだ。
Kはなぜ襖を開けたのか?
そして、そうした疑問とともに、エピソード②で襖を開けて「私」の名を呼ぶKの心理を考えなければならない。
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