下人の「心理の推移」が、どのような論理によって引剥ぎという「行為の必然性」を導き出すのか?
「老婆の論理」に拠ってだ、と考えるとそこで思考停止してしまう。だが、「老婆の論理」を否定して、「心理の推移」が「行為の必然性」にいたる論理を見出すことには、やはりある発想の飛躍が必要だ。
ここまでの心理の分析のすべてがその手がかりになるはず。丁寧にたどって、それが「おりて」くるのを待とう。
考える手がかりをいくつか提供する。
AB論争から明らかになったことを思い出そう。「なぜ引剥ぎをしたか」という問いには「なんのために引剥ぎをするか」と「なぜできなかった引剥ぎができるようになったのか」という問いが重なっている。一般的な解釈の「極限状況」は前者に対応し、「老婆の論理」は後者に対応している。また、ディベートにおけるA支持者は後者に答えようとしており、B支持者は前者に答えようとしているように見える。
○なんのために引剥ぎをするか
→極限状況=B「生きるため」
○なぜできなかった引剥ぎができるようになったのか
→老婆の論理=A「相手もしているなら」
「老婆の論理」からではなく、「心理の推移」によって後者の問いに答える論理を考えよう。
さてこの問いに対する答えがそれなりに用意できたら、そこから主題として把握する抽象化へ飛躍する前に、一段階、次のような問いを置いたことを思い出そう。
引剥ぎという行為の意味は何か?
「意味」を語るためには抽象的な把握を必要とする。
授業ではこれを考えるために、例えば「実用/象徴」という対比で考えてみることを提案した。
「実用」だとみなすのは先のB支持だが、それだけで説明することはできない。
「象徴」のみで解釈する立場はAのみを重視するということだが、これも難しい。
「実用」を否定せず、そこにAではない、どんな「象徴」性を認めるか?
それを表現した先に、さらに主題へと抽象化する。
さて、門の下で下人の中にあったのは、どのような論理・価値の拮抗か?
具体的には「a.飢え死にをする/b.盗人になる」という選択肢の間で逡巡している。これを抽象化する。
「死/生」が挙がるが、下人は「死」を選択しようとしているわけではない。
選択すべき価値としては「善/悪」も悪くないが「a.正義/b.悪」がいいだろう。「a.良心・倫理/b.利己心・エゴイズム」などもいい。
最初の時点で「a.飢え死に/b.盗人」は拮抗している。この拮抗のバランスは、途中完全にa「飢え死に」に傾く。
下人は、なんの未練もなく、飢え死にを選んだことであろう。
そして最後には完全にb「盗人」に傾く。
飢え死になどということは、ほとんど考えることさえできないほど、意識の外に追い出されていた。
つまり最初の「a.正義/b.悪」の拮抗は一度完全にaに振り切れ、その後完全にbに振り切る。
この変化は極端だ。
「老婆の論理」説は最後にbを選ぶ必然性を説明しているだけで、aに振り切る極端な変化はなぜ生じているのか、なぜそのことを執拗に書くのかという疑問には答えていない。
二度の極端な変化は、いずれも重要だ。不自然なことには意図がある。
それらは何を示すか?
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