語り手のいる場所とともに、並行してもう一つの問いを投げかけておく。
次の二つの表現はどう違うか?
6行目 みぞれはびちよびちよふつてくる
15行目 みぞれはびちよびちよ沈んでくる
詩という形式は、意図的にある文言を繰り返すリフレインという技法を使うことが多い。「小景異情」にも「サーカス」にもリフレイン=繰り返されるフレーズがある。「永訣の朝」では「あめゆじゆとてちてけんじや」というとし子の言葉が繰り返される。
リフレインは、そのまま同じ形で繰り返されるだけでなく、少しずつ変形しながら繰り返されることもある。歌詞の1番と2番のように。とりわけサビでは明らかにリフレインを意識した相似性の中で、微妙に表現を変えることが、意味の響き合いを生む効果を狙っていることが多い。
「永訣の朝」の5・6行目
うすあかくいつそう陰惨な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
と14・15行目
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
は内容的にも文構造的にも共通している。つまり意図的なリフレインだと考えられる。「変形」型の。
この変形は何をもたらすか? 何のための変形か?
ただし前の「~雲」までの変更については授業者の方に特にアイデアがないので扱わない。何か面白いアイデアがあったら聞かせて。
授業では末尾の「ふつてくる」と「沈んでくる」の違いについては考える。
この表現の変更は何を意味しているのか?
考える際には次の1,2の順に考える。
どう違うか?
なぜ変えたのか?
まず、自分の心に問いかける。どう違うように感じるか?
そしてその違いが作者の表現したかったものであるかどうかを検討する。それが一致するのがコミュニケーションとしての幸せな解釈というものだ。
だが、作者の意図しない「意味」が発生することを、テクスト解釈は避けられない。それは作品を享受する受け手の自由だ。作品は作者の手を離れて自由なのだ。
語り手のいる場所とリフレインの変更。
これら二つの問題を関係づけて考える。
この二つの問題は関係づけて考えなくてはならない。テクストを文脈において解釈するとは、そういうことだ。
語り手はどこにいるか?
「ふつてくる/沈んでくる」はどう違うか?
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