恋の自白の場面と自殺の場面に共通する「ほぼ同じ」「感じ」とは、「私」とKの「こころ」が断絶し、それぞれが「たった一人」になった瞬間が突然訪れたということだ。
こうした「黒い光」を「孤独」の象徴として見る解釈は、「こころ」の主題を「意思疎通の不全」と捉えることとも整合する。
それはKの自殺に至る心理の考察から導かれた結論と一致する。
確かにこの瞬間、二人は断絶し、「孤独」が決定づけられた。
だが、「私」にはそのことがこの時直ちに認識されているとは言い難い。
そうした認識は後から徐々に形をなしていくのではないか?
Kの自己所決に「二日余り」が必要だったように、「私」がそうした認識にいたるのにも10年あまりの時間が必要だった。
だからこれらの瞬間に「私」を襲った「感じ」について、もう一つ、別の相貌を捉えなければならない。
それは、何事か致命的な「遅れ」とでもいったものだ。
二つの場面で「私」はなぜその瞬間に「もう取り返しがつかない」と認識することができたのか。
それは、どちらの場面も「私」は単なる受け身の状態で不意打ちを食らっているわけではなく、「私」自身は自分がすべきことを自覚しているからだ。
115頁では、房総旅行以前から、Kよりも先に「私」こそお嬢さんへの思いを相手に伝えなければならないと思い続けていたのだし、Kの自殺の前にも「私はどうしても前へ出ずにはいられなかったのです。」とKへの釈明に迫られている。
こうした強迫意識が、どちらの場面でもいわば意識下の「予覚」のような形で迫ってくる。後ろから追われているような焦燥感が、事態の展開への「予感」のようなものとして感じられている。
だからこそ「私」にはその先に陥る窮境が、聞いた刹那にわかってしまう。Kから恋の告白を聞いてしまった以上、もう自分からは言えない。Kの自殺を発見した場面でもKや奥さんお嬢さんに釈明する機会は永遠に失われてしまったのだ。
意識下でそうした展開を恐れていたからこそ、そうした悟りは、刹那におとずれる。
注意すべきなのは、だからといって、そうなることを予め知ることはできない、という点だ。そうなって初めてそうした状況におかれることの意味がわかるのだ。「まるでなかった」のは、Kの告白を聞かされる「予覚」というばかりではなく、聞かされた後に訪れるこうした状況の意味する、致命的な身動きのとれなさに対する「予覚」だ。
つまりそうした「予覚」をもてなかった「私」は、事態の展開に致命的に「遅れ」ているのだ。
この認識は、保留にしていた、なぜ「私」はKの告白に続けて自分のお嬢さんに対する思いを告白できなかったのか、という問題に対する一つの解答を可能にする。
Kには敵わないと思うから、実は自分も、と言い出せないのだという説明は、おそらく間違ってはいないが、「利害を考えて黙っていたのではありません。ただ何事も言えなかったのです。」という不可解な記述の意味を捉えていない。
衝撃のあまり言い出せなかったのだ、というのも間違いではないかもしれないが、そのことがなぜ重要なことなのかを説明していない。
問題は、なぜその時言い出せなかったか、というだけではなく、なぜその後も言い出せないのか、でもある。
Kに敵わないという認識は変わっていないのだから、告白の瞬間に限らず「言えない」状態は継続する。
また、Kが死んでしまっては「言えない」ことに何の不思議もない。
だがそれだけではない。次のような記述は、この「言えない」に共通する性質があることを物語っている。
私は当然自分の心をKに打ち明けるべきはずだと思いました。しかしそれにはもう時機が遅れてしまったという気も起こりました。なぜさっきKの言葉を遮って、こっちから逆襲しなかったのか、そこが非常な手ぬかりのように見えてきました。せめてKの後に続いて、自分は自分の思うとおりをその場で話してしまったら、まだよかったろうにとも考えました。Kの自白に一段落がついた今となって、こっちからまた同じことを切り出すのは、どう思案しても変でした。私はこの不自然に打ち勝つ方法を知らなかったのです。(116頁)
要するに私は正直な道を歩くつもりで、つい足を滑らしたばかものでした。…しかし立ち直って、もう一歩前へ踏み出そうとするには、今滑ったことをぜひとも周囲の人に知られなければならない窮境に陥ったのです。私はあくまで滑ったことを隠したがりました。同時に、どうしても前へ出ずにはいられなかったのです。私はこの間に挟まってまた立ちすくみました。(136頁)
二つの記述に共通する構造は何か?
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