2024年1月15日月曜日

永訣の朝 1 -全体を捉える

 宮沢賢治「永訣の朝」を読む。

 文学史上に屹立する名作として、100年の間、多くの日本人に愛されてきたこの詩は、一方で教材として豊かな可能性をもったテクストでもある。

 ここでいう「可能性」とは、感動的な文学作品を読むことで高校生の「心を豊かに」してやろうなどと期待するものではない。国語学習の場たる授業のためのテクストとしてこの詩がもつ可能性だ。

 つまり毎度のごとく、ここでも、やることはただひたすらテクスト解釈だ。そういう意味で、詩も小説も評論も変わらない。テキストの情報を整合的に組み合わせて解釈することで、そのテキストが持っている「意味」が立ち上がる瞬間を体験しようというのだ。


 まずは肩慣らし。頭の準備体操

 この詩の形式は何か?


 詩の「形式」?

 漢詩ならば「五言/七言」か「絶句/律詩」を言えばいい。

 では日本語詞の現代詩では?


 中学校で習うはず。「口語/文語」と「定型詩/自由詩」を言えばいい(「叙情詩/叙景詩/叙事詩」は内容の区別)。

 では「永訣の朝」は?


 ところで教科書に収録されているあとの二つ、室生犀星「小景異情」と中原中也「サーカス」は?

 「定型詩」というのは日本語の韻文のでは和歌か俳句のことを意味するから、いずれも自由詩ということになる。短歌は教科書の、三つの詩の後の頁に収録されている。

 とはいえ「小景異情」と「サーカス」はいずれも、明らかに定型詩の韻律が意識されていることが、読んでみるとわかる。

 定型詩の韻律とは五音と七音によって、詩句が一定のリズムをもっていることをいう。「小景異情」「サーカス」いずれも、明らかに七五調の詩行が多い。「小景異情」の冒頭「ふるさとは/遠きにありて/思ふもの」は五七五だから発句(俳句)の形だ。

 したがって、言うならば定型の韻律を多用した自由詩、ということになる。

 それに比べて「永訣の朝」はそうした韻律が使われてはいない。したがってまさしく自由詩だ。


 では「口語/文語」?

 「小景異情」は文語詩だ。「かへらばや」の「ばや」が願望の終助詞であることは文語文法で学習済み。

 では「永訣の朝」は?


 まず「口語/文語」を「話し言葉/書き言葉」と思っているようでは話にならない。「現代語/古語」のことだとわかっていなければならない(本校生徒なら!)。

 その上で「永訣の朝」を文語詩だと勘違いしてしまうことはありうる。

 そうした勘違いがどこから生じるかを推測し、どう考えるのが正しいのかを説明してみよう。


 冒頭が「けふのうちにとほくへいつてしまふ」とくるから、これは文語だろうと思ってしまうのは無理もない。

 だが2行目の文末は「あかるいのだ」だ。「だ」は口語の助詞だ。

 では「けふ」は何なのだ?


 これは歴史的仮名遣い(旧仮名遣い)なのだ。

 「口語/文語」と「現代仮名遣い/歴史的仮名遣い」が別の要件なのだと認識しなければならない。そこを混同していると、うっかりこの詩は文語詩だと言ってしまう。通常、文語は必ず旧仮名遣いで書かれるし、口語は現代仮名遣いで書かれるものしか目にしない。だが文語かどうかと仮名遣いは別問題なのだ。

 この「永訣の朝」のように、口語が旧仮名遣いで書かれるとうっかりそこを混同して、これが文語詩であるかのように思ってしまうこともある。

 だが太平洋戦争前までは、口語でも旧仮名遣いで書いていたのだ。


 準備体操その2.「永訣」とは何か?

 辞書は引かない。知識を問うているのではない。

 「永訣」などという語は別の機会にあらかじめ知っているのでなければ、高校生がまず知っているはずのない知識だ。授業者とてこの詩でしかお目にかかったことはない。

 考える手がかりは、まずは詩の内容。この問いは、「永訣」という言葉の意味を教えようという目的で発しているのではなく、詩の内容を捉えようという思考を促すために発しているのだ。

 さらに熟語の意味は字の意味から考える。

 漢字の意味は、訓読みをするか、別の熟語を連想するかだ。

 だが「永」はともかく「訣」とは何か?

 熟語は「訣別」が思い浮かべば良い。「訣」が常用漢字ではないため、慣用的に「決」で代用しているが、「決別」=「別れを決める」では誤解を生ずる。本来は「訣別」なのだ。

 またどのクラスでも「たもとをわかつ」という声が聞こえてきたが「たもと」はころもへんで「袂」。だが連想がはたらくのは故あることでもある。「訣」は「~れ(る)」と送り仮名を振ることができる、とヒントを出すと、何人かが「わかれ」と答える。つまり「たもとをわかつ」の「わかつ=訣かつ」の方なのだ。

 つまり「永訣」とは「永遠の別れ」のことだ。これは妹との「永遠の別れ」=妹の死をうたった詩なのだ。


 まだ準備体操。この詩の中で語り手がしている最も大きな行為は何か?


 語り手は詩の中で「空を見上げる」「飛び出す」「みぞれを茶碗に掬う」「妹のために祈る」「願う」など、大小様々な「行為」をしている。そのうち「最も大きな行為」とは何か。

 「妹のためにみぞれを採ってくること」と答えるのは難しくない。ただ、ページをめくって全体を見回し、それが全体に渡って「最も大きな行為」であるかどうかを検討することに意味がある。ここまでの二つの問いで、「永訣の朝」とは、「妹との永遠の別れ」=「妹の死」に際して、「妹のためにみぞれを採ってくる」という詩であることが捉えられたからだ。

 これでこの詩を読むための構えができた。


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