「暴力的な主体化の問題性」を考えるにあたって、「主体化」が2つ、「問題性」が3つ、「暴力」が4つ、文中に存在することを確認した。
主体化
(1)語る主体になる
(2)行動する主体になる
問題性
A.文字どおりの暴力性
B.少女の声の可能性の抑圧
C.私たち自身の加害者性の隠蔽
暴力(番号をふりなおす)
① 私たち→少女
② 少女→私たち
③ 私たち→カメラマン
④ 世界システム→少女
これらはそれぞれ、文章全体のあちこちで反復される。だからどれも無視することはできない。筆者はそれぞれの言葉にそれぞれの意味を含意していると考えられる。
では、問題の「暴力的な主体化の問題性」というフレーズを全体として説明するために、どのような方法が可能か?
複数の項目の関係にはいくつかの型がある。「I was born」では5聯と6聯の関係を示すために「対立」「並列」の二つの型を選択肢とした。
今回は2項対立ではないので、「対比(対立)」で示すのは不適切だ。
では?
授業ではベン図案も出た。表にまとめるアイデアも出た。表では、縦列横列がどういう法則性かが問われる。ベン図はどんなカテゴリーを想定すれば良いのだろう。
授業ではクラスの誰かがそのことを思いつく。
これらの諸要素を因果関係によって継起順に並べてみよう、というものだ。
その際、起点に置くべきなのは主体化? 暴力? 問題?
粘り強くこれらの因果関係をたどってみれば、「暴力」がこうした複雑な事態の出発点にあることがわかるはずだ。
④ 世界システム→少女
暴力を受けた少女から「それ」=「虚ろなまなざし」が生まれる。
カメラマンがそれを写真に収め、世界に発信する。
それを見た我々がトラウマを受ける。
↓
② 少女→私たち
私たちは耐えきれず「それ」を語る主体にする(1)。
だがそれは彼女たちの声を奪うことに等しい。
① 私たち→少女
B.少女の声の可能性の抑圧
↓
同時に、少女を主体化することは実は私たちが彼女に代わって主体になることに等しい。かわいそうな少女に代わって語る主体になることは、ただちに彼女を救うための行動する主体になることでもある(2)。
そして、そうした運動の中で、時にはかわいそうなカメラマンを追い詰めてしまう。
↓
③ 運動(私たち)→カメラマン
A.文字どおりの暴力性
↓
C.私たち自身の加害者性の隠蔽
こうして、すべての「暴力」「主体化」「問題性」を網羅した因果関係をたどった果てに置かれるCは、出発点の④にかえっていく。なぜなら「加害者性」というときの「加害」こそ④の「暴力」なのであり、加害者たる「世界システム」とは私たち自身のことでもあるのだから。
出発点の④が隠蔽されることで、この構造は解決に向かわずにループする。
さて、授業ではこの構造を図示してみんなの前で説明することを求めた。
図示しようとすると、例えば矢印の使い方に工夫が必要になる。継起順と暴力の方向(あるいは主体化の影響を及ぼす力の方向)を表す矢印を描き分ける必要がある。このブログでは下向きが継起順で右向きが暴力の方向を示しているが、まあ平板にすぎるので、F組H君に提供してもらった的確でわかりやすい図を挙げる。
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