俺は、なぜ「すぐに」「老眼鏡を思い出した」か?
実際に皆が思いついた説を列挙してみる。
① 「遠くに見える」からの連想で、見るための道具としての「老眼鏡」が思い出された。
② 母親を話題にのせるとき、その外観上の特徴として「老眼鏡」がイメージされた。
③ 孫が生まれたことから、母親の老齢が実感され、そこから「ゆるゆるになったらしい」「老眼鏡」が連想された。
いずれもそれなりにわからないでもない。とはいえ充分とも言い難い。
①については、老眼鏡が近くを見る道具であることと「遠くに見える」の齟齬がひっかかる。
②については、老眼鏡が常にかけているものではないことから、外観上のイメージを代表しているものと考えることに疑問がある。そもそもなぜ外観のイメージを特徴付けるアイテムを想起したことを述べる必要があるのか。
③は、単に「孫の誕生」ではなく「命名」の件を母親から聞くことと連想の因果関係が明確でない。「孫の誕生」→「老齢」の連想ならわかる。だがここでは「命名」→「老眼鏡」という連想だ。この因果関係はやはりよくわからない。
そして、①②③いずれも4聯に続く脈絡が不明で、3聯がここに置かれている充分な理由を説明してはいない。
①②③の解釈は「老眼鏡に」焦点があっている。それに対して「老眼鏡」そのものではなく、それが「はじめてのおくりもの」であったという点から連想の機制を説明する案も提出される。
④母親が孫に贈る名前を、あれこれ考えていたのだろうという想像が、自分が母親に老眼鏡を贈ったときにもあれこれ苦労して考えていたものだという連想に結びついた。
⑤孫娘はいわば母親にとっての贈り物であるという認識が、自分が母親に贈った老眼鏡の連想に結びついた。
これらもまたなかなかに巧みな説明だ。授業中には、こうしたアイデアがなるべく豊富に提出されるのが面白い。
だが授業者の考えでは、④⑤は、いわば考え過ぎ、だ。そうだとすると、そうした読みに読者を誘導する情報が、ほかに詩中に示されるはずだからだ。それが書かれていないことが不自然だと感じられる。
ではなぜ「おれ」は「はるか」という名から「老眼鏡を/思い出した」のか?
①②③では「老眼鏡」の出自は問題ではない。単に「ノブコちゃん」自身が買って常用しているものでもかまわないことになる。それに対して④⑤では「おくりもの」が例えばネッカチーフなどでもかまわないことになる。
どう考えるべきなのか?
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