2024年7月10日水曜日

虚ろなまなざし 4 様々な「問題性」

 「暴力的な主体化」という表現を解釈するために、文中に現われる「主体」「暴力」といった表現を追ってみた。それらは単一の解釈を容易には成立させてくれない。


 「AがBを主体にする」ことは「BがAによって主体になる」ということだから、問題はABに代入されるのは何か、だ。

 さらに、どのような行為の「主体」なのかという点で「語る/行動する」という解釈の分岐の可能性が見えてきた。


 「暴力」も、その方向性を示していくつかの暴力が登場していることを確認する。

 誰が誰に暴力をふるっているのか?

 「主体化」に絡むプレーヤーが「それ(少女)」と「私たち」の二択だとしても、「暴力」の方に絡むプレーヤーはそれだけではない。

 少なくともこの文章中には4つ以上の「暴力」が登場している。


 さらに「暴力的な主体化の問題性」を解釈する際には次のような問題がある。

 「…問題性とは」に続く部分を段落末まで読んでみる。

 すると「…というだけではない。」というフレーズがある。並列を表わす表現だ。

 さらにそのあとを読むと「と同時に」という語句による並列が示される。

 つまり「暴力的な主体化の問題性」とは、「 A というだけでなく B と同時に C でもある」といっているのだ。

 この二重の並列をどう整理するか?


 本文に沿ってそのまま整理するなら

A 人を時に死に至らしめるほどの、文字どおりの暴力性

B 私たちが恣意的に投影した私たちの声が「それ」の声となってしまうことで、もしかしたら、そうではないかもしれない、ほかのさまざまな声の可能性を抑圧してしまう

C 私たちが被害者として同一化することで、もし、私たち自身が加害者であった場合に、その加害性を都合よく隠蔽することにもなってしまう


 さらに抽象度を高めた表現にしてみる。

A.文字どおりの暴力性

B.少女の声の可能性の抑圧

C.私たち自身の加害者性の隠蔽

 さて、これらABCの「問題」は、どのような関係になっており、それは「暴力的な主体化」とどのような関係になっているか?


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