2024年7月13日土曜日

博士の愛した数式 5

 ルートは、自らの怒りの訳を「ママが博士を信用しなかった…ことが許せないんだ。」と語る。だがルート自身は博士を信用しているのだろうか。そもそも博士は実際に信用に足る人物なのだろうか。

 とてもそうだとは言えない。ルートの負傷にあたって、博士は「動揺」し「混乱」し、まるで役に立たない。「私」の判断で病院に連れて行く段になってようやく大人の男としての力を発揮するが、総じて「任せる」には不安な人物に違いあるまい。

 むろんそのことをルートもまた痛いほど感じているはずだ。病院に運ばれることになる怪我の際も「ルートは一人で事を収めようとし」ている。

 父親としての博士におぶわれて感ずる安らぎが本当には安定した確固たるものではないことことに気づかざるを得ないほどに、ルートは怜悧だ。ルートの苛立ちは、母親の博士への疑念自体に向けられているのではなく、むしろ母親が懸念した博士への不安が現実となってしまったことによって生じているのだ。

 とすれば、それを現実にさせたのは自らの過失だ。したがって、本当に責めるべきなのは自らであることに、ルートは気づいている。

 この「怒り」が、単に母親を「許せない」と思っているだけではなく、自分にも向けられているのだと読み取ることは決定的に重要だ。

 ルートに自傷的な振る舞いをさせるのはいわば自責の念だ。「不機嫌」の、「怒り」の正体が自らの責任の追及から発している以上、それは単純に母親を責めることにならない。

 だからルートは黙って涙を流す。愛すべき博士の名誉を守れなかった自らの無力に泣くのは、その責任を引き受けようとする矜恃の裏返しだ。「罪の意識」を感ずるのは「罪」を自らの責任として引き受けようとする気概だ。ようやく怒りの理由を口にする時「ルートは私を見据え、泣いているとは思えない落ち着いた口調で言」う。言葉こそ母親を責めているが、そうした母親の懸念を否定することで、自らの責任を引き受けようとするルートは一人の「男」なのだ。

 この「罪の意識」が強い感情として表出するのは、前段における博士への親愛の情の故だ。

 だが前段の「運動靴はプラプラ揺れていた」が、先に述べたように、ルートが子供という立場に身を任せる心地よさを表しているように、本当はルートは子供でいたいとも思っている。そしてルートが子供でいるためには、博士が擬似的な父親として信用に足る人物でなければならず、そのためには、ルートが自立できなければならない。

 つまりルートは、言ってみれば、子供でいるために大人にならなければならないという、奇妙な背理のうちに置かれている。

 それこそ、ここでルートが置かれている混乱である。


 博士の名誉を守ろうと母親を非難し、同時に名誉を守ることができなかった自らの非力を嘆くルートは、「こども」という安楽に甘んずることを望むがゆえに、それを守る力を求めてそこから一歩を踏み出そうとする「男」だ。

 ここに描かれているのは、母親に苛立ち、母親を非難する息子と、それに突き放される母親の断絶ではない。ここには、有り体に言えばルートの「成長」という事態が描かれている。自分への非難の中に息子の成長を見て取る母親の歓喜が描かれている。

 そう考えるからこそ、このシークエンスはまぎれもなくハッピーエンドなのである。


 この小説は本屋大賞の多くの受賞作品と同じく、実写映画化されている。

 文章の読み比べは、以前から授業のメソッドとして重要視しているのだが、評論の読み比べに限らず、「羅生門」における「今昔物語」などの原典との読み比べ、マンガ化されたものがあればそれとの比較、あるいは映像作品との比較など、複数のテクストを比較するのは、常に有用な読解学習の機会となる。

 だがそれは、一方が他方の理解を助けることが期待されるからではない。そもそも国語科学習とは、教材の「理解」を最終目的としてはいない。国語科学習における教材文の「理解」とは、あくまで「理解」を仮の目標としておくことで、学習の導因、インセンティブとなることが期待されるという、当面の「仮の目標」だ。学習自体は、読解行為・考察そのものにあるのであり、読み比べはそのための糸口だ。

 そして思考とは常に比較だ。情報が「差異」でしかない以上、情報の発生は比較によってしか起こらない。思考は差異線をなぞるようにして展開する。


 だが結論を言えば、小泉堯史監督による映画版は、期待したような考察を可能にしてはくれなかった。

 原作の、母親が外出しているうちにルートがナイフで指を切ってひどく出血し、病院に行くという顛末が、映画では草野球の練習の最中に他の選手とぶつかって転倒して頭を打って病院に運ばれるという設定になっている。展開が違っているから、映画を見ていると最初のうちは、このシークエンスが問題のエピソードだとは気づかない。だが病院の待合室でルートの治療を待っている場面辺りで、もしやそうなのかと思っていると、結局そうなのだ。

 わけがわからない。どういうわけでこういう改変をするのか。映画の尺の問題で短縮する必要があるのなら、エピソードごと切ってしまえばいい。後の展開に必須のエピソードではない。

 ルートの怪我の原因について、博士が自分に責任があると思い、なおかつその事態を博士が自分で収拾できずに混乱に陥るというのが、このエピソードの必須要件だ。だが映画ではそれがまるで描かれない。その混乱の中でこそ、三角数は語られる必要がある。そこにある秩序が小説の言葉で「崇高」と語られるのは、博士の混乱との対比があるからだ。

 だが映画では、博士は落ち着き払って、不安げに待つ母親に、数学の話をもちだして、あろうことか、したり顔で教訓を垂れるのだ。

 なんという、人間の心理に対する無神経、無理解。

 問題のルートの怒りも、博士に野球のコーチを任せることを懸念する母親に対する怒りとして描かれるだけだ。ルートの怒りは、アパートに帰り着いてからではなく、夕食の帰り、博士に負ぶわれている場面で既に露わにされる。そして母親はその怒りの意味をただちに理解して、ルートに謝る。ルートの自責の念も、成長も、まるで描かれることはない。

 演出以前に脚本も自ら書き下ろしている小泉監督が、小説に描かれた心理の機微をまるで理解していないことは明らかだ。

 もちろん、「授業」という特殊な場がこの場面についてのこのような読みを可能にしているだけだ、とも言える。だが、物語の結末部にある決定的な喪失についても映画がまるで描いていないのは、もはや、この映画が何を語ろうともしていないことの証左だ。

 この映画は、まったく、ただなんとなく、このお話を絵解きしたに過ぎない。そこに美しい桜並木でも映しておけば「良い映画」風のものを作ったつもりになっているのだ。


博士の愛した数式 4

 前項の疑問①、なぜルートは急に不機嫌になったのか、について、教科書の解説書は次のように説明している。

博士と別れ、母子ふたりになったことで、それまで抑えられていたいらだちが抑えられなくなったと考えられる。

 こういう思いつきやすい説明にとびついてはいけない。この説明が馬鹿げていることは、まっとうな小説読者ならば感じ取らなくてはならない。

 前段落の「外食」のシークエンスでは、「ルートは大喜びだった」「満足していた」「ヒーローにでもなったつもりでいるらしかった。」「大威張りで」「素直におんぶをしてもらった」「夜の風は心地よく、おなかはいっぱいで、ルートの左手は大丈夫だった。もうそれだけで、十分満足だった。」と肯定的な表現が並ぶ。ここから、「それまで抑えられていたいらだち」を読み取ることはできない。それを読者に伝える描写はない。

 したがって、このルートの怒りは単に上機嫌の演技の下に抑えていた不機嫌が露わになったとかいうことではない。むしろ、前段落の肯定的な表現、三人の間にもたらされた親和的な空気こそが、その後アパートに戻ってからのルートの不機嫌をもたらしていると考えるべきなのだ。

 といって、博士に対する親愛の情が、博士を信用しなかった母親への怒りに変化したのだ、と言っただけでは、涙の訳がわからない。

 では一体、この場面はどのような事態を表現しているのか?


 前段の終わり「博士と私の靴音は重なり合い、ルートの運動靴はプラプラ揺れていた。」という描写が表すものは何か?


 ここでは「私」と博士が擬似的な「夫婦」のように描かれていること、とりわけルートが無防備な「子供」として描かれていることを読み取るべきだ。「運動靴はプラプラ揺れていた」とは、博士におぶわれて自分の足で歩かない子供の立場に甘んじているということだ。

 母子家庭にあって必ずしも安楽な、子供という立場ではいられないルートにとって、それは心地よいものであるはずだ。

 この心地よさは、なぜ「不機嫌」に反転するか?


弟に速達で 7 懲りない一族

二聯 命名

三聯 老眼鏡

四聯 北へ行く

 これを、「夢」をキーワードに言い換える。

二聯 祖母が孫に「夢を追う」ことを期待している。

三聯 息子が「夢を追うのをやめた」ことをかつて母親が喜んだ。

四聯 伯父が姪にも「夢を追う」ことを期待している。

 ここには微妙な論理の屈曲がある。矛盾と言ってもいい。

 母親は息子が「夢を諦めた」のを喜んだ。だが孫に「夢を追え」と願う。

 ここに納得できる論理を想定する。


 母は息子が「夢をやめた」ことを喜んだはずなのに、生まれたばかりの孫に「夢を追う」ことを願う。そして息子はそうした母親の願いを聞いて、自らももう一度「夢を追う」ことを決意し、あわせて姪にも、母親と同じ願いをかける。一見不整合な展開に授業者は以下のような文脈を読む。

 つまりこれは、懲りない一族の物語なのだ。

 母は確かにかつて「夢」を追ってなかなか定職に就かない息子達を心配していたし、息子が定職に就いた時にはそれを喜んだ。

 だが、考えてみれば息子達をそのように育てたのは当の母親でもある。彼女自身がそれを願ったのだ。そして彼女は今また性懲りもなく孫にも「遠くを見ろ」と願っている。

 このとき「おれ」に生じた感慨はどのようなものか。

 つまり「おれ」は、母が「はるか」という名を考えたことを聞いて、自分の生き方を、母親から肯定されていると感じ取っているのだ。「おれ」は母親に「しんぱいばかりかけた」が、そんな生き方を、母親は決して否定してはいなかった。

 そして定職について母親を安心させはしたものの、「おれ」も相変わらず「小さな夢」を「ずっとたもちつづけ」て、今また母親の肯定を力に北へ旅立とうとしている。そして母親と同じく、姪にも「夢」を見続けろとけしかけるのである。

 連綿と続く夢見る一族の性。

 これはそうした懲りない一族の物語なのである。


 こうした考察によって、詩を構成している論理が目に見える形で浮上してくる瞬間は悪くない。授業者には、ほとんどカタルシスといっていい、興味深い認識の転換だと感じられる。

 詩の読解に限らず、授業でテキストを読むときには、しばしばこうした認識の転換が訪れるのが面白い。


弟に速達で 6 論理を追う

 さて、あれこれ考えてみはしたが、なぜ「思い出した」のか、という疑問は、本当は聯の関係によってしか考えることはできない。だからこそ問いは「聯の関係は?」なのだ。

一・二聯 a 祖母が初孫の名前を考え、息子に提案している

  三聯 b 母親に送った老眼鏡を語り手が思い出す

四・五聯 c 語り手が北へ旅立つにあたって、母親と同じ願いを姪にかける

 書かれていること、書いてあることは、とりたてて「わからない」とは感じない。だが、意識してみると、なぜaに続いてbが語られるのか、またそれがcに続く脈絡は、考えてみるとどうもわからない。

 aとcの関連はわかる。祖母の考えた「はるか」という名が、そのまま語り手の「北」への思いに重なるからだ。だがそこにbを挟む脈絡とはなんだろう。

二聯 命名

三聯 老眼鏡

四聯 北へ行く

 こう考えるからつながりが見づらくなるのであり、関連を考えるためには、共通した要素を想定するとよい。

 何が適切か?


 とりあえず「夢」という単語が発想されればOK。

 糸口となるのは前回の「30歳まで何をしていたか」の想像だ。

 前述した通り、ここにはあれこれと自由な想像の余地がある。

 だが、ともかくはずしてはならない条件として、少なくとも何かしら「夢を追っていた」のだと考えるべきだ。そう考えてはじめて、三聯がこの詩におかれていることの意味がわかるからだ。したがってここに、単なるニートや闘病生活や服役を想定するべきではない。

 そしてこれは一人「おれ」だけではなく、弟もそうなのだ(「おれやきみは」)。そのことが「ノブコちゃん」に「しんぱいばかりかけた」ことを語り手は自覚している。だからこそ定職について給料で買った贈り物に母親が喜んだことを印象深く覚えている。

 さて、「夢を追う」というキーフレーズが提出されたことで、詩の論理を追う手掛かりができた。二聯と四聯の内容を「夢を追う」というフレーズを使って言い換えてみる。

二聯 祖母が孫に「はるか」という名を提案している

  →祖母が孫に「夢を追う」ことを期待している。

四聯 伯父が、自分の夢を見るために北へ行くと宣言している

  →伯父が姪にも「夢を追う」ことを期待している。

 こうした言い方に沿って、三聯を言い換えるとどういうことになるか。

三聯 息子が定職に就いたことを母親が喜んだ。

  →息子が「夢を追う」のをやめたことを母親が喜んだ。

 母親が孫に「はるか」という名を提案していることを聞いたとき語り手が「老眼鏡」を思い出すのは、息子が「はるか」な「夢」を見ることをやめた時に喜んでいた母親の姿を連想したからだ。母親はかつて息子が定職に就いて「夢」を見ることをやめたとき、そのことを喜んだのだった。

 そう考えてみると、このプレゼントが老眼鏡であったことにも、いささか穿ち過ぎの解釈ができないこともない。老眼鏡とは遠くではなく目の前を見るための道具である。「夢」を追っていた二十代の終わりに定職に就くにあたって、「おれ」が贈ったのが、「目の前/現実」を見るための道具としての老眼鏡であったことは何か象徴的だと言えなくもない。

 「なぜ思い出したか」はこのように言えるとはいえ、まだこの詩の中で三聯が果たしている役割については一貫した論理が見えていない。その点についてさらに考える。

 ここにはどんな論理が想定できるか?


弟に速達で 5 なぜ「思い出した」か?

 俺は、なぜ「すぐに」「老眼鏡を思い出した」か?

 実際に皆が思いついた説を列挙してみる。


① 「遠くに見える」からの連想で、見るための道具としての「老眼鏡」が思い出された。

② 母親を話題にのせるとき、その外観上の特徴として「老眼鏡」がイメージされた。

③ 孫が生まれたことから、母親の老齢が実感され、そこから「ゆるゆるになったらしい」「老眼鏡」が連想された。


 いずれもそれなりにわからないでもない。とはいえ充分とも言い難い。

 ①については、老眼鏡が近くを見る道具であることと「遠くに見える」の齟齬がひっかかる。

 ②については、老眼鏡が常にかけているものではないことから、外観上のイメージを代表しているものと考えることに疑問がある。そもそもなぜ外観のイメージを特徴付けるアイテムを想起したことを述べる必要があるのか。

 ③は、単に「孫の誕生」ではなく「命名」の件を母親から聞くことと連想の因果関係が明確でない。「孫の誕生」→「老齢」の連想ならわかる。だがここでは「命名」→「老眼鏡」という連想だ。この因果関係はやはりよくわからない。

 そして、①②③いずれも4聯に続く脈絡が不明で、3聯がここに置かれている充分な理由を説明してはいない。


 ①②③の解釈は「老眼鏡に」焦点があっている。それに対して「老眼鏡」そのものではなく、それが「はじめてのおくりもの」であったという点から連想の機制を説明する案も提出される。

④母親が孫に贈る名前を、あれこれ考えていたのだろうという想像が、自分が母親に老眼鏡を贈ったときにもあれこれ苦労して考えていたものだという連想に結びついた。

⑤孫娘はいわば母親にとっての贈り物であるという認識が、自分が母親に贈った老眼鏡の連想に結びついた。

 これらもまたなかなかに巧みな説明だ。授業中には、こうしたアイデアがなるべく豊富に提出されるのが面白い。

 だが授業者の考えでは、④⑤は、いわば考え過ぎ、だ。そうだとすると、そうした読みに読者を誘導する情報が、ほかに詩中に示されるはずだからだ。それが書かれていないことが不自然だと感じられる。


 ではなぜ「おれ」は「はるか」という名から「老眼鏡を/思い出した」のか?

 ①②③では「老眼鏡」の出自は問題ではない。単に「ノブコちゃん」自身が買って常用しているものでもかまわないことになる。それに対して④⑤では「おくりもの」が例えばネッカチーフなどでもかまわないことになる。

 どう考えるべきなのか?


2024年7月11日木曜日

虚ろなまなざし 8 主張

 「暴力的な主体化の問題性」というフレーズには、この文章全体で語られる問題群が凝縮している。だから4~5回の授業は、この問いについて考えるだけで終わった。

 だが、前々回で示した「暴力」と「主体化」と「問題性」の因果関係の構造そのものを岡真理が示したかったとすると、この文章はあまりにわかりにくすぎる。すなわちそれはこの文章が、それそのものを読者に提示することを目的にしていないことを示す。

 読者の方で再構成したのが前回の構造図であって、それを読者に示すつもりなら、岡真理はもっと手際よく、わかりやすく書くはずだ。

 つまりこれは岡真理の主張の背景となる認識であって、この文章の主張そのものではない。

 では何を主張しているのか?


 今回この文章を読むのも、柄谷、小林、鷲田と読み継いできた一連のテーマの流れだ。

 とすればこれもまた近代批判? だがどのような意味で?

 例えば次のような一節を読み比べるだけでも、岡真理が柄谷と同様な問題意識を射程に収めていることは容易に見てとれる。

「虚ろなまなざし」

私たちが生きる、この地球社会に山積した問題の数々。民族問題、環境問題、南北問題、人権問題……それは、この世界に生きる私たち一人ひとりの問題でありながら、ほうっておいても、いつか、どこかのだれかが解決してくれるかのように、いつもは、他人事のように忘却を決め込んでいる私たち、これらの問題を紹介するテレビや新聞の特集や詳細なルポも、ワイドショーで報じられる芸能人のスキャンダルと同じような情報の一つとして消費してしまう

「場所と経験」

直観的に言えば、我々が新聞やテレビで知るような場所や事件はこういう空間に属しているように思われる。それは近所で見聞する事柄のようなリアリティを持たないし、肉眼で見るような切実感もない。その上、それは妙に国際的である。沖縄、ベトナム、ビアフラ、テルアビブ……これら各地で起こっていることに我々は均質な関心を寄せることができる。なぜなら、それは均質な空間で起こっているからである。

 ここに共通する問題意識とは何か?

 確かに、世界に起こる国際紛争などの「問題」についてのルポルタージュを「ワイドショーで報じられる芸能人のスキャンダルと同じような情報の一つとして消費してしまう」ことが問題であることはわかる。だがそこからこれを、例えばメディアリテラシーの問題として捉えたり、広く世界の問題に目を向けようといった教訓に進んでも、「情報の一つとして消費してしまう」ことや「均質な関心を寄せる」ことにしかならない。

 文章を読む目的は、それを「理解する」ことなのではなく、それを「使う」ことにある。ここまで論じてきた「比較読み」も「使う」ために読むことの一つの実践なのであり、「虚ろなまなざし」を、現代社会の問題を考える上で「使う」ことはその意味で妥当な扱いだ。

 だが、その扱いは容易ではない。

 例えば「虚ろなまなざし」から抽出されそうな「我々自身の『加害者性』に目を向けよう」などという教訓は容易く岡真理のいう「キャンペーン」に流れて「消費」されてしまうだろう。あるいは「場所と経験」を、「『真の知識』を得るためには、テレビで観るのではなく事件の現場に行くしかない」などといった主張をしているかのような、見当違いの解釈をすることに陥ってしまうだろう。

 それぞれの文章をその内部で読むだけでは、例えば両者が「文学」について語っていることはわからない。「場所と経験」で最後に突然言及される「文学」は唐突に過ぎて何のことかわからないし、「虚ろなまなざし」の本文中には「文学」への言及はない。

 だが、岡真理が批判するジャーナリズムやその享受者たる我々に対置するものとしてアラブ文学を専門家とする彼女が想定しているのは「文学」のはずなのだ。

 そしてそれは柄谷が「見たものだけを見たということ」から出発するほかに不可能だと語る、その「文学」である。


 「私たち自身の加害者性を隠蔽する」ことが問題だと岡真理は言う。ということは、私たちは自らの加害者性を自覚することが大切なのだ、と岡真理は主張していることになるのか?

 それは確かに間違ってはいない。だが彼女はそのように表現されるお説教くさいお題目を唱えたいのか、と言えばたぶんちょっと違う。

 あるいは世界のニュースを「他人事のように忘却している」姿勢が批判的に述べられている。ならば、少女についても自分のことのように考えるべきなのか?

 だがそのような主張がカメラマンを死に追いやる「文字どおりの暴力性」を生んだのではないか?


 「虚ろなまなざし」という奇妙な題名の文章が何を主張しているかということは、実は授業者にとっても難問だった。というか、授業で取り上げる前には、この文章は何が言いたいかわからないと感じていた。

 それが腑に落ちたのは柄谷行人「場所と経験」と近い時期に読んで、両者が結びついたときだった。

 二人がそれぞれの文章で主張していることは、実は同じなのだと気づいたのだ。


 柄谷の主張を端的に言うならば「視たものだけを視たと言え」である。

 これを言い換えると「視たものにもっともらしい意味づけをするな」である。

 岡真理は何を主張しているか。

 「『それ』の恣意的な主体化をやめろ」である。

 「それ」の主体化がカメラマンを殺し、私たち自身の加害者性の隠蔽を招いているのである。

 両者は同じことだ。つまり 意味づけ=主体化 である。

 物言わぬ少女に声を当てることは、恣意的な「解釈」(小林秀雄)だ。つまり、声を当てる=主体化は「解釈」=「意味づけ」なのである。


 とすると、題名の「虚ろなまなざし=それ」は「場所と経験」では何にあたるか?

 いったん比較してみようという目で眺めてみれば、「虚ろなまなざし」の中の例えば〈私たちは「それ」を、この世界の中に、私たちとの関係性の中に―肯定的であれ否定的であれ―位置づける〉などという表現が、「意味づけ」「解釈」などといったかたちで柄谷、小林によって繰り返されていたことがただちに見てとれる。

 柄谷は「意味づけ」の動機を〈もっともらしさを確保したい〉と言うが、それを岡は〈まなざしのその「虚ろさ」、意味の欠如、それが私たちを不安にする。〉と強調しながら反復する。

 〈そこにあってしかるべき、『恐怖』や『苦痛』といった感情が表明されていないこと〉に耐えがたい我々は〈語れない少女に代わって〉少女の感じているであろう「恐怖」や「苦痛」を語らずにいられない。そうして語ることは、柄谷のいう〈知ったような気になっている〉ということだ。

 既にはっきりしている。〈私たちが読み取り、同一化することのできるような、いっさいの意味を欠いていること〉=〈「それ」がまさに「それ」でしかないこと〉=「虚ろなまなざし」こそ「生きた他者」に他ならない。

 その不安に耐えられない我々は「暴力的な主体化」によって立ち上がるが、それはあくまで「均質な空間で起こっている」ことに対して「均質な関心を寄せ」ているに過ぎない。


 つまり「虚ろなまなざし」の持つ「他者性」が、我々に「暴力的」に「トラウマ」を与えるのである。トラウマを負った者は、少女を「主体化」して、その声を代弁する。「暴力」を受けた者が、その「暴力」を避けようとして「暴力」をふるう側に回るのである。

 そうした「主体化」を拒む者こそ「視たものだけを視たという」者だ。

 つまり岡真理の言っているのは、単純に言ってしまえば、こうした「暴力」に負けずに「それ」を直視せよ、ということだ。

 そして〈そこから出発するほかに、どうして「文学」が可能だろうか〉と柄谷が言うように、アラブ文学者である岡真理もまた「それ」を「それ」のままに描くことこそが「文学」の使命だと言うにちがいない。

 柄谷「場所と」や小林「無常と」の中ではこの苛烈さは特に強調されてはいないが、その困難に向かって柄谷も小林も声を上げていることは間違いない。柄谷が「視たものだけを視たと言え」というのも、小林が「解釈せずに思い出せ」というのも「『それ』を『それ』として見ろ」と岡が言うのと同じことだ。それを実行する困難こそ、これらの論者が共通して言挙げしていることなのだ。


 ここでもまた、互いの文脈の中に互いの表現をはめこんで、どちらの文章の主張でもあるようなことを語れる。これは決して単なる言葉遊びでもなければ牽強付会でもない。こうして語りながら、不断に元の、それぞれの文章との比較によって生ずる違和感を測りながら細かく修正しているのだ。

 同時に、そうした読み比べによって、始めてこれらの論者の問題意識が確かな手応えで捉えられるのである。


2024年7月10日水曜日

虚ろなまなざし 7 加害性の隠蔽

 一つのフレーズから文章全体を把握するという方法で「虚ろなまなざし」を読解してきたが、「問題性」の一つとして取り出した「私たち自身の加害性」は、若干立ち入って考察する必要がある。

 一方でこれは、文中では殊更に詳しく説明されているとも言い難い。わかる人はわかるはずだ、という、読者に対する筆者の信頼が、余計な説明を省いている。

 例えば説明と言うより言い換えにあたるのは次のような表現だ。

他ならぬ私たち自身が「それ」の苦痛の元凶である

 これだけの前振りを元に「私たち自身の加害性」を理解するのは難しい。

 だがこれより後でもう一度次のように言い換えられる。

南北構造を固定化する世界システムの中で飽食している私たち自身の姿

 ここで「なるほど」と思えなければ、もう文中の説明によってはこれ以上この表現を理解することはできない。

 つまり問題を「南北構造」に限定するならば、「北」側に属する我々は、「南」側に属している人々、例えば写真の「少女」に対して、自覚の有無にかかわらず「加害者」なのだ、と言っているのだ。

 これは国語科の問題というより社会科の扱うべき問題だ。


 さらに、なぜこの加害者性が「隠蔽」されるのか?

 こちらは国語科の問題だ。この文章から読み取らなければならない。

 「隠蔽」は「かき消されてしまう」と言い換えられているから、その文の前半「難民の少女に被害者として同一化して、カメラマンを非難することで」がその機制を説明しているわけだが、これがどうして「隠蔽」につながるのかは、またしても読者の理解に委ねられていて、これ以上に詳しい説明はない。

 だがむろん、こんなことはわからなければならない。

 だが求められる「国語力」とは、これを「理解」することより「説明」することにある。

 この点については授業で、想定外の「説明」が提示された。「カメラマンを非難する」からだ、というのだ。どういうことか?

 つまりカメラマンを「加害者」として攻撃することで、自分たちの「加害者」責任が転嫁される、というのだ。

 なるほど。理屈は立つ。だがなぜカメラマンが「加害者」なのか?

 つまりこのカメラマンは「傍観者」なのだ。なるほど、傍観者も加害者の仲間だ、などという認識は、「いじめ」についての言説の中でしばしば目にする言い方だ。

 とすると、私たちもまた「傍観者」に過ぎないという点でカメラマンと同じだったはずなのに、そのカメラマンを非難することで、自らの「傍観者=加害者」性を忘れてしまう、と。

 想定外の「説明」だった。


 だがまっとうな「説明」はこうではない。

 むしろその前半「難民の少女に被害者として同一化して」の部分こそ、この文章が取り上げている問題だ。

 この文章の肝は「主体化」だ。

 前述の通り「主体化」はいくつもの意味を重ねて含み持つが、さしあたって「少女を語る主体にする」のことだとしよう。だが実際は少女は語っていない。少女が語っているかのように当てられているのは、実は我々自身の声だ。つまり我々は少女を「主体化」することで自身を「被害者として同一化して」しまうのだ。自分が「被害者」になってしまうのだから、「加害者」であることは見えなくなる。

 これが「加害者性の隠蔽」を生む規制の、端的な「説明」である。


虚ろなまなざし 6 継起順に並べる

 「暴力的な主体化の問題性」を考えるにあたって、「主体化」が2つ、「問題性」が3つ、「暴力」が4つ、文中に存在することを確認した。


主体化

(1)語る主体になる

(2)行動する主体になる


問題性

A.文字どおりの暴力性

B.少女の声の可能性の抑圧

C.私たち自身の加害者性の隠蔽


暴力(番号をふりなおす)

① 私たち→少女

② 少女→私たち

③ 私たち→カメラマン

④ 世界システム→少女


 これらはそれぞれ、文章全体のあちこちで反復される。だからどれも無視することはできない。筆者はそれぞれの言葉にそれぞれの意味を含意していると考えられる。

 では、問題の「暴力的な主体化の問題性」というフレーズを全体として説明するために、どのような方法が可能か?


 複数の項目の関係にはいくつかの型がある。「I was born」では5聯と6聯の関係を示すために「対立」「並列」の二つの型を選択肢とした。

 今回は2項対立ではないので、「対比(対立)」で示すのは不適切だ。

 では?

 授業ではベン図案も出た。表にまとめるアイデアも出た。表では、縦列横列がどういう法則性かが問われる。ベン図はどんなカテゴリーを想定すれば良いのだろう。


 授業ではクラスの誰かがそのことを思いつく。

 これらの諸要素を因果関係によって継起順に並べてみよう、というものだ。

 その際、起点に置くべきなのは主体化? 暴力? 問題?


 粘り強くこれらの因果関係をたどってみれば、「暴力」がこうした複雑な事態の出発点にあることがわかるはずだ。


④ 世界システム→少女

 暴力を受けた少女から「それ」=「虚ろなまなざし」が生まれる。

 カメラマンがそれを写真に収め、世界に発信する。

 それを見た我々がトラウマを受ける。

  ↓

② 少女→私たち

 私たちは耐えきれず「それ」を語る主体にする(1)。

 だがそれは彼女たちの声を奪うことに等しい。

① 私たち→少女

 B.少女の声の可能性の抑圧

  ↓

 同時に、少女を主体化することは実は私たちが彼女に代わって主体になることに等しい。かわいそうな少女に代わって語る主体になることは、ただちに彼女を救うための行動する主体になることでもある(2)。

 そして、そうした運動の中で、時にはかわいそうなカメラマンを追い詰めてしまう。

  ↓

③ 運動(私たち)→カメラマン

 A.文字どおりの暴力性

  ↓

 C.私たち自身の加害者性の隠蔽


 こうして、すべての「暴力」「主体化」「問題性」を網羅した因果関係をたどった果てに置かれるCは、出発点の④にかえっていく。なぜなら「加害者性」というときの「加害」こそ④の「暴力」なのであり、加害者たる「世界システム」とは私たち自身のことでもあるのだから。

 出発点の④が隠蔽されることで、この構造は解決に向かわずにループする。


 さて、授業ではこの構造を図示してみんなの前で説明することを求めた。

 図示しようとすると、例えば矢印の使い方に工夫が必要になる。継起順と暴力の方向(あるいは主体化の影響を及ぼす力の方向)を表す矢印を描き分ける必要がある。このブログでは下向きが継起順で右向きが暴力の方向を示しているが、まあ平板にすぎるので、F組H君に提供してもらった的確でわかりやすい図を挙げる。






 

虚ろなまなざし 5 様々な「暴力」

 さて、「主体化」と、三つのパターンによって関係する「暴力」は、この文中でどのように語られているか?

 いくつもの「暴力」が文中に登場する。その暴力の「方向」(文法でいう「敬意の方向」的な)を明らかにしよう。それは誰に誰に対する暴力なのか。

 また、その暴力は「主体化」という変化に対して、「原因」となるのか「結果」なのか、あるいは「主体化」というプロセス自体が「暴力的」と形容するしかないような変化なのか。


 さしあたって三箇所の「暴力」の記述について注目する。

ア 難民の子どもの、その虚ろなまなざしである。そのような視線にはからずも出会ってしまうこと、それが、私たちのトラウマとなる。そして、私たちを主体化する――暴力的に。

イ そのまなざしが、自分の身にふりかかる圧倒的な暴力に対して耐えがたい苦痛を無言のうちに叫んでいるからではない。

ウ なぜ私たちは、意味づけられない空洞が、かくも耐えがたいのか、一人の人間を暴力的に死に追い込むほどまでに?


 それぞれの「暴力」の方向を確認しよう。

ア 「それ(少女)」→私たち

イ 状況(世界システム)→少女

ウ 私たち→カメラマン

 アの「暴力的」はその「主体化」が引き起こす結果としての暴力、すなわちウをも指している形容だとも考えられる。だがさしあたり「トラウマ」という言葉を「暴力」によるものと考えると、ウではない「暴力」がそこには想定されている。

 またウの「耐えがたい」はアの「トラウマ」を生み出す情動だが、ここでの「暴力」はカメラマンを「死に追い込む」ものを指していると捉えておく。

 これらの「暴力」は先の「問題性」ABCとどのように対応しているか?

A.文字どおりの暴力性

B.少女の声の可能性の抑圧

C.私たち自身の加害者性の隠蔽

 Aはウのことだ。

 Bはアイウのいずれでもない。だが「抑圧」と言い、「可能性を全て奪う」という表現で繰り返されているBもまた明らかに「暴力」だと筆者には捉えられているはずだ。これをエとして取り立てておこう。

エ 私たち→少女

 Cの「隠蔽」は暴力ではないが「加害者性」の「加害」は暴力を指しているから、Cはつまり暴力が隠蔽されるのは「問題」だと言っていることになる。

 アはABCいずれの「問題」にも対応していないが、この一節の「暴力的」という形容は実はアを最も強く念頭に置いて付せられているとも言える(これは、ここを考える上での本質的な問題なので、後でまた論ずる)。


 さて、これらの「暴力」と「問題」、そして「主体化」は、どのような関係になっているか?


虚ろなまなざし 4 様々な「問題性」

 「暴力的な主体化」という表現を解釈するために、文中に現われる「主体」「暴力」といった表現を追ってみた。それらは単一の解釈を容易には成立させてくれない。


 「AがBを主体にする」ことは「BがAによって主体になる」ということだから、問題はABに代入されるのは何か、だ。

 さらに、どのような行為の「主体」なのかという点で「語る/行動する」という解釈の分岐の可能性が見えてきた。


 「暴力」も、その方向性を示していくつかの暴力が登場していることを確認する。

 誰が誰に暴力をふるっているのか?

 「主体化」に絡むプレーヤーが「それ(少女)」と「私たち」の二択だとしても、「暴力」の方に絡むプレーヤーはそれだけではない。

 少なくともこの文章中には4つ以上の「暴力」が登場している。


 さらに「暴力的な主体化の問題性」を解釈する際には次のような問題がある。

 「…問題性とは」に続く部分を段落末まで読んでみる。

 すると「…というだけではない。」というフレーズがある。並列を表わす表現だ。

 さらにそのあとを読むと「と同時に」という語句による並列が示される。

 つまり「暴力的な主体化の問題性」とは、「 A というだけでなく B と同時に C でもある」といっているのだ。

 この二重の並列をどう整理するか?


 本文に沿ってそのまま整理するなら

A 人を時に死に至らしめるほどの、文字どおりの暴力性

B 私たちが恣意的に投影した私たちの声が「それ」の声となってしまうことで、もしかしたら、そうではないかもしれない、ほかのさまざまな声の可能性を抑圧してしまう

C 私たちが被害者として同一化することで、もし、私たち自身が加害者であった場合に、その加害性を都合よく隠蔽することにもなってしまう


 さらに抽象度を高めた表現にしてみる。

A.文字どおりの暴力性

B.少女の声の可能性の抑圧

C.私たち自身の加害者性の隠蔽

 さて、これらABCの「問題」は、どのような関係になっており、それは「暴力的な主体化」とどのような関係になっているか?


虚ろなまなざし 3 様々な「主体化」

 「暴力的な主体化の問題性」とは何か?


 まず「主体化」と「暴力」それぞれ、それらがどのように文中に見出されるかを意識して、再度通読する。その際、主語・目的語の方向性を明らかにする。

 何が何を「主体にする」か?

 何が何に暴力をふるっているか?


 まず本文で「主体・主体化」がどのように使われているかを確認する。

 前の部分に「少女に代わって、少女の恐怖を語る主体になる」という一節がある。

 「主体になる」のは誰か?

 「私たち」だ。

 つまり「それ」が「私たち」を「主体化」するのだ。少女の声を「語る主体」に。


 後ろの部分には次のような一節がある。

(アフリカの難民の子どもの、その虚ろなまなざし)にはからずも出会ってしまうこと、それが、私たちのトラウマとなる。そして、私たちを主体化する――暴力的に。

 ここでもやはり「それ」が私たちを「主体化」する、という。

 これは「語る主体」なのだろうか?


 だがまた一方でその直前には次の表現もある。

私たちを突如、行動する主体へとかりたてる

 「行動する主体」だ。これは「語る主体」と同じと見なしていいのか?


 さらに引用する。

  • 「それ」が、それ自身の、語りの主体になってくれること
  • 「それ」が決して主体―Subject―主語の位置を占めないこと
  • 私たちが「それ」に、声なき声を聴き取ることで、「それ」は「それ」であることをやめ、主体化される

 これらは全て「語る主体」のことだが、ここでは語るのは少女だ。

 さっきは私たちが語るのではなかったか?


 そういったそばから次のような表現が頻出する。

  • 「それ」を主体化すべく私たちが行動する
  • 私たちをこのように行動する主体に駆りたてる

 ここでは「行動する主体」のことであり、行動するのは「私たち」だ。


 以上のことからすると、「主体」とは「語る主体」と「行動する主体」の二種類がありそうだし、「主体化」の主語と目的語も「私たち」と「少女」の2パターンありそうだ。


 「暴力的な主体化」という表現も問題だ。「~的」という形容が曖昧なのだ。

 「暴力的な主体化」という表現は、単に言葉の上で三つの解釈が可能だ。

A 主体化そのものが暴力

B 暴力が主体化を引き起こす

C 主体化が暴力を引き起こす

 Aは、それ自体が暴力であるような主体化。BCの「暴力」は「主体化」ではない。「主体化」の原因や結果ではあっても、それ自体は別に「主体化」ではないような「暴力」だ。

 Bは暴力によって引き起こされた主体化。

 Cは暴力を引き起こすような主体化。

 いずれも「暴力的な主体化」と表現されてもいい。

 そして、文中に言及されるいくつかの暴力と上のいくつかの主体化の関係には、実際にこれらABCのパターンのいずれかに該当するものがそれぞれ登場する。


虚ろなまなざし 2 暴力的な主体化

 「暴力的な主体化の問題性」とは何か?


 しばらく話し合って、問題点が見えてきただろうか?

 こういうときは問題を選択肢のあるような問いに置き直すことも有用だ。

 どうやって?


 「主体化」は「主体化する」なのか「主体化される」なのか?

 「主体化」とは「主体になる」なのか「主体にする」なのか?

 もちろんこれらは主語と目的語を入れ替えて、同じ意味を示すように言い換えることができる。

 だが、誰が誰を「主体にする」のか、という問題は選択肢として分岐する。 

  • AはBによって主体になる=AはBに主体化される
  • BがAを主体にする

 AとBには何が代入されるか?


 こういうときはゆめゆめ、全員がそれぞれの解釈をまず脳裏に描き、それを提示しあって虚心に検討しなければならない。

 自分が話し合いの中でしていた「主体化」の説明はどれだったか?

 自分の考えが曖昧なうちに話し合いに入ると、最初に話し出した者の考えに引っ張られて、それとは違ったふうに考えていた自分の考えが霧散してしまう、ということが起こりがちだ。

 すべての選択肢について、それを支持する者がいていい。これはそういう問題だ。班の中で説得力のある人の選んだものを「正解」とする必要はない。これは、唯一の正解にあっさりとたどりつくような問題ではないのだ。

 その上で、考えるべきなのはどれが正解かではなく、分岐した解釈同士の関係だ。


 さてその「主体化」が「暴力的」とはどういうことか?

 「暴力的」という言葉は文中ではここで初めて登場する。何を指して「暴力的」と言っているかという把握にも解釈の余地がある。

 さて「暴力」について選択肢のあるような解釈の可能性を考えるならば、「主体化」と同じく、次のような問いにしてみればいい。

 誰の誰に対する「暴力」なのか?


 文中には、様々な「暴力」が語られている。直接「暴力」という言葉が使われていない部分でも、「殺す」「恐怖」「苦痛」「加害」「抑圧」「耐えがたい」など、「暴力」に結びつきそうな表現は頻出する。

 だがそれぞれが何を指しているかは充分に文脈を捉える必要がある。

 そして「主体化」と同じように、それら複数の「暴力」同士の関係性について考える。


 以上のような要素の検討に基づいて「暴力的な主体化の問題性」について捉えよう。


虚ろなまなざし 1 問いを立てる

 岡真理の「虚ろなまなざし」を読む。

 岡真理は慶應大や一橋大他、国公立大や有名私立大の出題もある注目の論者。専門がアラブ文学ということで、第三世界に関する、文化的多様性、文化相対主義といったテーマの文章が取り上げられることが多い。

 「虚ろなまなざし」もまた、そういった問題を取り上げているのだろうか?

 確かにアフリカにおける度重なる紛争の結果として生じた難民問題・飢餓の問題に言及してはいるが、論じている問題の焦点はそこではない。

 では何か?

 題名の「虚ろなまなざし」とは何を意味しているか?


 さて、最近の授業では毎度、何を考えるべきか? と問うている。問われて答を探すより、まず問いを立てる。何が考えるに値する問題なのかを見つけることはきわめて重要だ。

 文章全体の読解は例によってスキーマの問題なので、これはその時が来たら考えるとして、まずは考えるべき一節を文中から見つける。

 初回授業では、みんなに片っ端から聞いてみたのだが、残念ながらこちらの想定している一節を提示する人は学年で数えるほどだった。

 まあ、いろんなところはいろんな意味で気になったり、考察しがいがあったりするかもしれない。だがそれらの問題のほとんどは、次の一節を考察することに含まれている。授業者自身も、授業を繰り返しているうちに、この一節について考察することが、この文章全体を考察することになるのだと、次第に気づいていったのだった。

 考察するのは次の一節。

「それ」による私たちの暴力的な主体化の問題性

 この一節が意味することを徹底的に考察する。


 本文では「暴力的な主体化の問題性とは」に続く部分がその説明なのだから、それを適切に捉えればいいだけだとも言える。テスト問題ならば、理解がどうであれ、まとめてしまえば解答は作れる。

 だがテスト問題に回答できることと、理解しているということは必ずしも一致しない。この一節が腑に落ちるように思えるかといえば、そうではなかろう。

 このことをちゃんと考えるためには「問題性」の前にまず「暴力的な主体化」とは何なのかを捉える必要がある。それが「問題」だと言っているのだから。

 では「暴力的な主体化」とは何か?

 これは決して自明なわけではない。


無常ということ 8-読み比べる

 「無常ということ」を「場所と経験」と読み比べることで論理付ける。

 もちろん思考のガイドとなるのは、それぞれの文章の対比図だ。

 どのように照らし合わせると、どのようなことが「わかる」のだろうか?

場所と経験








「場所と経験」では、結局「感性的/均質な」という対比に重心が移って文章が閉じられることを確認した。この主要な対比を「無常ということ」の対比と比べてみる。

無常ということ






 個々の表現の印象の類似性もあるだろう。「意味づけ」と「解釈」が対応していることは授業で確認した。

 すると、「場所と経験」の対比と「無常ということ」の対比の左右がそれぞれ対応しているのだろうと見当がつく。

 どちらの文章でも、左辺を否定して右辺を推しているからだ。


 こうして並べてしまえば、あとはいかようにも言える。上の配置図に挙げられた表現をつかって、二つの文章をこんな風にコラージュしてみよう。

 柄谷が、自分が直接に見たものの「リアリティ・切実感」からしか「真の知識」は得られないのだというように、小林は、「心を虚しくして思い出す」ことでしか、我々を「動物的状態」から救う、美しい「常なるもの」は見い出せないのだと言っているのである。


 「新聞やテレビ」で知った「国際的」な事件は、多くの歴史家の頭を充たす、歴史についての「記憶」と同じものに過ぎない。そうした経験に我々は「意味づけ」をして、「もっともらしさを確保する」ように、現代人はそうした歴史の記憶を「解釈」してわかったつもりになるのである。


 「解釈を拒絶して動じないもの」こそ「真の知識」であり、そうした認識にいたった鷗外や宣長こそ、歴史の魂に推参した「文学」に到達したのである。柄谷が「生きた他者」からしか「人間」について知ることはできないというように、小林は「死んだ人間」こそが「まさに人間の形をしている」というのである。


 「生きた他者」=「死んだ人間」!

 小林の「生きている人間」を柄谷の「生きた他者」と結びつけてしまうと、対比の対応関係がまるで逆転してしまう。「死んだ」と「生きた」こそが対応しているのだと納得するためには、文脈の論理を捉える必要がある。

 「生きた他者」=「死んだ人間」とすると、両者の共通点は何か?

 「どちらも~」と言い出してみて、続く言葉は何か?


 両者の共通点を積極的に言うことは、実は難しい。こういう時には対比の考え方を使う。対比される側に「ではなく」を付けるのだ。

 両者はどちらも、こちらの解釈=意味づけを拒むものだ。

 こうした意味合いは、言葉のニュアンスからも捉えられる。

 例えば評論を読む際に必須の認識として、「他者」という言葉は単なる「他人」の意味ではなく、「こちらの解釈を拒絶する存在」を意味していることを知っておく必要がある。そうした認識があれば、「死んだ人間」こそ「生きた他者」であるという奇妙にねじれた帰結をも受け容れることができる。


 柄谷を経由して初めて、小林の「解釈する」と「記憶する(だけ)」が、同じように「思い出す」の対比として並列されるわけが納得できる。

 柄谷は言う。

われわれは日々多くのことを経験しているが、そのほとんどはたんに経験したような気になっているにすぎないので、だからこそ意味づけが性急に要求される。事件が不可解だからではない。意味づけることで、もっともらしさを確保したいからにすぎない。

 これは「頭を記憶でいっぱいにしている」「多くの歴史家」こそが「歴史の新しい解釈」という罠に囚われてしまう事情を端的に述べている。

 そしてその「解釈」と「意味づけ」こそ、小林と柄谷が厳しく拒否しようとしているものだ。


 こうした対比によって、「無常ということ」でも最大の謎といっていい「過去から未来に向かって飴のように延びた時間という蒼ざめた思想」について、ようやく考えることができる。

過去から未来に向かって飴のように延びた時間

を柄谷の文章で翻訳すれば

ここからあそこに向かって地図のように伸び拡がった空間

とでもいうことになる。

 これは端的に柄谷の「均質な空間」にならって言えば、「均質な時間」のことなのだ。

 数直線上に均等に配置される史実によって成立する歴史、というイメージこそ、柄谷の言う「地図のように均質な空間」でさまざまな出来事が起こるこの世界、というイメージに重なり合う。


 結局これらの文章は何が言いたいのか?

 柄谷は、世界を「均質な空間」だと捉えているだけでは、そこでの経験を擬似的なものとしてしか受け取れないといい、小林は、数直線上に並んだ歴史を「記憶するだけ」では、「常なるもの」を見失った「動物的状態」から逃れることはできない、と言っているのだ。

 あるいは、柄谷は、出来事を「意味づけ」をしてわかったつもりにならずに「生きた他者」を見ることでしか「真の知識」を得ることはできないと言い、小林は、歴史を「解釈」してわかったつもりにならずに、ただ「心を虚しくして思い出す」ことでしか「常なるもの」は見い出せない、と言っているのである。

 こうしたまとめも、基本的には先ほどのコラージュの変奏だ。


 ただしこれをきいて「ああなるほど」と思うことはまるで無駄だとは言わないがそれほど意味のあることではない。

 それよりも自分でやってみることだ。こうしたコラージュをやってみることによって、これらの文章の言っていること、筆者の考えていることが血肉化される。


無常ということ 7-再び、対比

 全体の対比をとり、考察の必要な受け取りにくい「部分」に考察を加え、さてでは小林秀雄はこの文章で何を主張しているのだろうか?

 それは明らかになったのだろうか?


 対比を整理することは、文章の、思考の論理を整理することだ。

 対比構造を対立項毎に左右に振り分けて、その差違線から輪郭を明確にするとともに、左右それぞれの領域を通観することで、そのまとまりも意識しよう。








 それぞれをつなげてみる。

左辺

現代人は、多くの歴史家のように頭を記憶でいっぱいにして、歴史を新しく解釈することに汲々とした挙げ句に常なるものを見失って、一種の動物にとどまっている。

右辺

鷗外や宣長のように、心を虚しくして巧みに思い出すことによってしか、解釈を拒絶して動じない常なるものを見出すことはできない。

 つまりこれは全体の趣旨を要約しているわけだ。

 これでかなり全体を俯瞰することができた。だがこれでもまだ、必ずしも「わかった」という実感、いわゆる腑に落ちるという感じに繋がるとは限らない。


 例えば「思い出す」とはどういうことか?

 それが小林によって推されていることはわかるが、それがどのようなことであるのかは自明とは言い難い。言葉としてあまりに日常に埋没しているがゆえに、ここで特別な意味を担わされているらしいこの言葉の意味をうけとりかねるのだ。

 一方で「思い出す」の対比として「解釈する」と「記憶する」が並置されているのはどういうわけか?

 一般に、「解釈する」とは対象への主体的な対峙であり、「記憶するだけ」にはそうした主体性を抑制した客観的な態度である(ような感じがする)。むしろ「解釈する」と「記憶するだけ」こそ、対立した概念ではないのか。にもかかわらずどうしてこれらが同じく「思い出す」に対置されるのか?


 こうしたことを考えるのは、もう「無常ということ」の内部では限界だ。内部の論理の整序による読解だけではこれ以上は先に進めない。自家中毒的な「迷路」に迷い込むばかりだ(「美学」の意味がこの文章内では決定できなかったように)。

 文章内の構造分析は、必ずしも「わかった」という実感を保証しはしないのだ。

 いや、むろんあるレベルでは、こうした対比構造の把握をする前よりもよほど「わかった」という実感はあるはずだ。「わかる」という感覚は常にある段階での、その前の段階との差異によって訪れる感覚だ。「場所と経験」を「幻想的/感性的/均質な」という構造に整理することも、「無常ということ」を「記憶・解釈する/思い出す」という構造に整理することも、あるレベルでの枠組みに情報を当てはめる=理解することに成功しているのだとは言える。

 だからその先、だ。


 授業者にとって、次の段階の「わかる」という感覚が訪れたのは、「無常ということ」と「場所と経験」、二つの文章が同時に意識に上ったときだ。あるとき、二つの文章が主張していることは同じだ、と突然気付いたのだ。その途端、両者が「言いたいこと」の感触がにわかにはっきりしたものになった。これは、後で考えたところによれば、二つの文章が、互いに枠組みとして機能したということだ。

 この感触は一瞬にして訪れたのであり、それを自覚的に跡付けることも、他人に説明することも、その一瞬の正確な再現ではない。しかし、それを他人向けに図式化して言語化することが、自分自身にとってもそれ以上の考察を可能にする。

 授業という、一人で思考するのとは違う「場」が、こうした考察を可能にする。



無常ということ 6-美学には行き着かない 4

 二つの授業でいくつもの読解に小論文の課題を設定しているせいで、それぞれの題材の考察の結論をブログ上で提示する前に、次々と次の題材の話に切り替わっている。

 それぞれの話題の記事を続けて読む際は「ラベル」で絞って。

 さしあたり「無常ということ」の決着をつける。


 「美学には行き着かない」とはどういうことか?

 この部分の解釈には個人的な思い出がからんでいる(この話をしたクラスとしていないクラスがある)。

 「無常ということ」は長らく教科書に載り続けている文章だから、授業者もまた高校生のときにこれを授業で読んだ。この部分の解釈にまつわる不一致は、実は高校生の時の授業者の体験なのだ。

 国語の授業は、しばしば授業とは別の本をこっそり読んでいたりもして、比較的起きていた(他の教科の授業はよく寝ていた)。だから国語の授業の内容は比較的追っていたと思う(起きていたので)。

 そして、この部分について先生が語る解説に違和感を覚えたのだった。

 何がどう違っているかはわからないが、その違和感は看過しがたく、遠慮がちにそのことを表明してやりとりするうち、次第に先生の説明に対する違和感の焦点が③のEFの解釈の違いであるらしいことがわかってきた。当該授業と、さらに次の授業1時限を費やして議論したが、決着をみなかった。

 この理由は、つまりこの問題には、どちらかを「正解」とする根拠が、この文章からは導けないということだと現在の授業者は考えている。最初から「正解」はない、と言っているのはそのためだ。

 ただ、この授業の担当教師は、年度末の最後の授業(3年だったから、高校の最後の国語の授業)でこの件に触れて、生徒が授業の内容に質問を投げかけてくることさえ稀なのに、まして先生の言うことは違っているなどと生徒が言ってくることはめったにないから、たいそう面白い事件だったという話をしたのだった。彼がそんなふうにこの件を受け止めていたことなぞ全く知らなかったから、その表明には驚かされたが、同時にその柔軟な姿勢に心を打たれたのだった。


 さて結局どう読解するか。

 議論をすればするほど、ある意味では理解が深まる。同時に議論すればするほど、結局わからなくなる、とも言える。

 それほどに、この部分の解釈はすっきりと腑に落ちることがない。

 ただ、選択肢にした問いのうち、③だけは結論を決定できる。

 だがそれは、上に述べた通り、この文章内の情報では不可能だ。その意味では①②と変わらない。

 じゃあなんで③だけが?

 ③についての結論はEだと言っていい。だがそうだと言いうる根拠はこの文章の論理にあるわけではなく、例えば「無常ということ」という連作の別の文章、「当麻(たいま)」の次の一節に拠る。

僕は、無要な諸観念の跳梁しないさういふ時代に、世阿弥が美といふものをどういふ風に考へたかを思ひ、其処に何の疑はしいものがない事を確めた。「物数を極めて、工夫を尽して後、花の失せぬところを知るべし」 美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。彼の「花」の観念の曖昧さに就いて頭を悩す現代の美学者の方が、化かされてゐるに過ぎない。肉体の動きに則って観念の動きを修正するがいい、前者の動きは後者の動きより遙かに微妙で深淵だから、彼はさう言ってゐるのだ。

 この中の〈美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。〉はとりわけ人口に膾炙した一節で、あちこちでよく引用される。

 ここからは次の対比が抽出できる。

「花」の美しさ/美しい「花」

     観念/肉体

 そしてここに書かれていることは「無常ということ」にそのまま通じている。「解釈する/思い出す」の対比だ。

 つまり、「美学者」はありもしない「観念の曖昧さに就いて頭を悩ま」していて、それは「化かされている」のだと小林秀雄は言う。「無常ということ」の「多くの歴史家」が「一種の動物にとどまる」というのと同じような揶揄だ。

 とすれば、小林が「美学には行きつかない」というのは、E「行くつもりがない」ということなのだ。

 我が高校時代の先生はおそらくこのことを知っていたのだ。だがF「行き着けない」=「思い出せない」という意味で解釈していた授業者には、その説明は腑に落ちるものではなかった。

 もちろん今はEの解釈を認めるにやぶさかではない。

 これはつまり他の文章を読むことによって得た小林の「美学」に対する見解が枠組みとしてはたらくことではじめてEの解釈の確からしさが保証されるということだ。だからFの解釈に整合性を持たせる①②の解釈は、それはそれで可能なのだ。筋が通ってさえいれば、それを不正解などとは言えない。


 その上で③をEとして、そこへ向かっていく論理を構築する。

 現在の授業者の納得はBCEだ。この支持者は多くない。今回の回答では10名だった。

 さて、授業者はどう考えているか。

 「子どもらしい疑問」がB「幼稚で取るに足りない下らない疑問」だから、自分は「迷路」に押しやられる。ただ、その疑問の元になっている「美学の萌芽とも呼ぶべき状態」=C「美しさをつかむに適した心身のある状態」には「少しも疑わしい性質を見つけ出すことができない」。だから「押されるままに、別段反抗しない」。

 つまり「美学の萌芽」こそ「上手に思い出す」ことができている「状態」だと解釈しているのだ。

 だが、「美学の萌芽」とも呼ぶべき状態への信頼と、「美学」という行為は別だ。「美学」は、そうした「状態」を観念によって分析しようとする。それが「迷路」だ。そんな「化かされている」ような連中に筆者は与するつもりはない、と宣言しているのがE「美学に行きつくつもりはない」というわけだ。

 となると「美学/美学の萌芽」という対立は「解釈する/思い出す」の対立に連なっているということになる。


 この部分はまだ小林自身が手探りで論を進めているところで、対比すら明確ではないから、読者は容易に唯一の正しい解釈には「行きつかない」し、それは全体の解釈にとってどの程度重要かもわからない。

 「美学」と「美学の萌芽」はむしろ同じ側であるように解釈するのが普通で、そこを対立させるなんて無茶だろ、という感想は当然あってもいい。「美学の萌芽」が良いのなら「美学」も良いのだろうし、「美学」が悪いのなら「美学の萌芽」も悪いのだ、と。

 もちろんそうした見込みは当然あってもいい。ただ、授業者の現状の納得はこうだということなのだ。


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