もう一つ、最終的な考察に臨む前に考えておきたい問題がある。これもまた「山月記」の読者としては看過してはならない箇所だ。
どこだ?
次の一節はどうみても気になる。
なるほど、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがあるのではないか
この「欠けるところ」とは何か?
ひとまずそう問いたくなる。「~が欠けている」にあてはまる言葉をあれこれと考えてみる。
だがこの問題の本質は、作者はなぜ李徴の詩に「欠けるところ」があると袁傪に感じさせたのか、という点だ。「欠けるところ」とはこれだと積極的に明示できないとしても、その情報の提示にどのような必要性があるかは納得されなければならない。
最も素直な答えは、李徴の才能がその程度であることが端的に表現されているのだ、という解釈だ。
とすると、なぜ作者はそう設定したのか? そのような設定は、どのような論理に組み込まれるべきなのか?
だが、そういうことではない。袁傪が言っているのは、「素質」は「第一流」だが、「作品」が「第一流」には「欠けるところがある」ということだ。
それは何か? どんなところか?
「なぜ虎になったか?」の三つの答えの3番目、「妻子よりも詩を気にしているから」考えるならば、「肉親への情愛」などと表現することもできる。人間らしい心の温かみがないことが詩に表れているのだ、などと。
これを否定する必要はないが、これで充分とは思えないはずだ。
では2の理由から「欠けるところ」を考えることはできるか?
次の一節がこの問題の言わば種明かしになっていると考えられる。
おれは詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。
つまり厳しい鍛錬の場にさらされていないのだ。本人の才能だけでは到達できない修行の跡が見られないのだ。
種明かしがされてしまったならば、この疑問はもう氷解したと考えていいだろうか?
この問題について考える糸口として、さらに次の問いを掲げておく。
李徵にとって詩とは何か?
「~とは何か?」という問いは抽象的でとりとめがない。何を言えば正解なのかわからない。
こういうときの考え方は、これまで何度も体験した。
対比を使うのだ。
李徴にとって詩は ではなく である。
「ではなく」によって何かを否定することで、表現したいことを明確にする。
この問いに答えるために参照すべき記述を指摘する。冒頭の段落から。
故山、虢略に帰臥し、人と交わりを絶って、ひたすら詩作にふけった。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。
さらに、李徴が自作の詩の伝録を袁傪に依頼した場面。
作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死にきれないのだ。
恥ずかしいことだが、今でも、こんなあさましい身となり果てた今でも、おれは、おれの詩集が長安風流人士の机の上に置かれているさまを、夢に見ることがあるのだ。
もちろんここからは李徴の詩への強い執着が読み取れる。
とすると、 には「夢」「願望」「存在意義」などという言葉が想起されるが、それでは に入る言葉が思いつかない。そもそも「夢」では強いのか弱いのかもわからない。
ここは、李徴は純粋に良い詩を書きたいと思っていたのではなく、名声がほしかっただけなのだ、といった分析がほしい。
これを、どのような対比で表現したら良いか?
授業では「芸術作品ではなく自己顕示の道具」という表現も挙がった。巧みな表現だ。
さて、想定しているのはこれと同じ趣旨のこんな表現。
李徴にとって詩は目的ではなく手段である。
それぞれのクラスで誰かがこの表現を想起する。
「目的」と「手段」を対にするのは、例えば「自己目的化」だという表現において見られる把握だ。本来手段に過ぎないものが、いつのまにかそれ自身、目的と見做されてしまう。金儲けは豊かな生活という「目的」のための「手段」に過ぎないのに、いつの間にか金儲け自身が「目的」と化してしまう…。大学入学はその先の人生の選択肢を広げるための「手段」に過ぎないのに、それ自身が「目的」であるように錯覚されてしまう…。
さて、李徵が何か自己目的化をしているというわけではない。ただ、李徵にとって詩は目的ではなく手段だ、といってみることは、李徴の詩の「欠けるところ」についての考察にも一つの解答を与える。
つまり李徴は芸術としての詩に真摯に向き合っていないのだ。名声を目的とし、詩を手段として扱っている。そうした姿勢が「欠けるところ」があると袁傪に感じさせている。
世の中には「山月記」の悲劇を、詩への耽溺によって心を狂わせた悲劇として捉える論考がある。
確かに文学者や芸術家が、自死や発狂といった悲劇に向かう例は歴史上数多くある。ある種の芸術創作は魂を削る行為なのかもしれない。
だが李徴の悲劇をそのように捉えることは、「山月記」という小説の要素をバランス良く捉えていない。
李徴の詩への執着は、純粋な芸術創造へ向かっているのではなく、名声への妄執なのだ。
さて、李徴にとって詩が手段であることと次の一節には奇妙な齟齬がある。何か?
自分は元来詩人として名を成すつもりでいた。しかも、業いまだ成らざるに、この運命に立ち至った。かつて作るところの詩数百編、もとより、まだ世に行われておらぬ。遺稿の所在ももはやわからなくなっていよう。
李徴の詩への執着という点から見れば、伝録を依頼する事情として読み流してしまいがちだが、問題は「もとより、まだ世に行われておらぬ」という一節だ。
これはつまり李徴の詩はほとんど発表されていなかったということだ。
これは先に引用した一節とも符合する。李徴は「師に就いたり、求めて詩友と交わっ」たりすることをしなかった。そんな者の詩がどうやって他人に読まれるのだろう。インターネットもない時代に。
つまり李徴は独りでせっせと詩を作り、それを発表もせずにしまいこんでいたのだ。
これは、詩が李徵にとって純粋な自己表現ではなく名声を得る為の手段だという上記の解釈からすると不合理だ。
だがどうしてそうなったかと言えば、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」がそのまま李徴のそうした行動を説明している。詩は「自尊心」を満たすための手段でありながら、「才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧」から、発表ができないのだ。
だがむしろこのことは、李徴を虎にさせたメカニズムのひとつの表れであるとみなすことはできないだろうか?
つまり、だから「虎になった」のだ。
どういうことか?
0 件のコメント:
コメントを投稿