2023年6月20日火曜日

山月記 4 「答え」の重み付け

 「李徵はなぜ虎になったのか?」という問いに対する「答え」として三つの候補を文中から挙げた。

  1. わからない
  2. 性情が表に出た
  3. 妻子よりも詩業を気にかけているから

 これらの「答え」を検討しよう。

 もちろん2を考えることが「山月記」読解の本丸になる。だから先に1と3を軽く考えておく。


 1を問いの答えとするということは、つまりこの小説のテーマをどのようなものだと考えるということか?

 それを言い表す単語を想起しよう。何か?


 二字だったら「運命・宿命」が文中の「さだめ」から連想される。四字だったら「諸行無常」「輪廻転生」とかいうのもアリかもしれない(もっとも李徵はまだ死んでいないので「転生」ではない)。

 三文字という指定をした。想定している三字熟語は「不条理」だ。「理不尽」もわるくないが、文学作品のテーマとして使われる頻度は「不条理」の方が高い。

 授業ではそれ以外に「受動的」が挙がった。なるほど、生物は「運命」の定めるところに対して「受動的」なのだ。

 また「無意味」という語も挙がった。人間であることも虎であることも、それ自体に「意味」はないのだ、という思想をこの小説は語っているのだ。

 これらは「不条理」という捉え方と同じ範疇にあると考えていいだろう。

 確かに「不条理」をテーマとする小説というのはある。人間が望むような「物語」=「条理」を否定することを主題とする小説が。

 では「山月記」をそのような小説として読むのは適切だろうか?

 どうもそうは思えない。それよりも2を重視して、その「条理」を考えるべきだという気がする。

 2よりも1を重視すべきではないと判断することの妥当性はどこにあるか?


 まず情報量として1や3に比べて2は情報量が多い。大事なことは詳しく語られる。

 また、小説中の順番は1,2だ。後出しジャンケンのごとく2の方が優位なのだ。

 後から述べられたことの方をより重視すべきだという妥当性はある。

 仮に2より1の方が後で語られていれば、1を無視できなくなる。あれこれ2のように理屈をこねたが、やっぱり「わからない」が正解かもしれないと小説的には言っているのだ、と。

 だが順番は1,2だ。

 後ろまで語って結局先に述べた1を結論として重視すべきであると考えるには、2や3で語られる理屈に対する疑義が小説中に置かれている必要がある。本人がいくら理屈をこねても、そんなものはあてにはならない、と。

 だがその痕跡は見つからない。とりあえずは。

 見つけられないでいるうちは、素直に2や3を重視すべきなのだ。

 実にシンプルな理由だが、適切な判断の根拠を自覚しておくのは有益なことだ。


 1は虎になった当初の混乱の中で発せられた感慨だが、その後熟慮の末にたどりついたのが2だ。やはり2がこの小説の肝なのだ。


 では3はどうか?

 1を候補から除外した時と同じ、情報量という点からはどうみても2が優勢だ。

 では3は、単なる自嘲癖の一つの表れとして看過すべきか?


 だが「関係」という言い方で考えさせたとき、2と3は、あながち別のことを言っているわけではない、という感触をもった人も多いだろうと思われる。どこのクラスでも3は2の具体例だ、という声が聞こえる。

 最初の「問い」に対して2から形成される「答え」と3から形成される「答え」が同じであるなどということは、どう考えれば可能か?


 こうした対比(類比)には、抽象度を上げる必要がある。

 3の記述からは、虎になった理由をどのような言葉で捉えることができるか?


 さしあたって皆から挙がるのは「身勝手」「自己中」「利己的」だ(はからずもこちらも三文字熟語が揃った)。

 3の記述から見出せるこれらの「理由」は、2で語られる「理由」と同じだと言って良いのだろうか?


 今直ちにそれに対して肯定否定の判断を出すのは難しい。

 まずはいったん3は措いて、2について考察を進めよう。


0 件のコメント:

コメントを投稿

よく読まれている記事