- 「歴史的な役割」とは何か?
- 「別の主張」とはどのような「主張」か?
- 「残酷」とはどのような意味か?
三つの問いを関係づけて通観する。
まず「歴史的な役割」は「そんな姿勢の歴史的な役割」だから、「そんな」がどこを指しているかを確認する。直前の一節から「自分で考える」ことの擁護、とまとめておく。
「別の主張」は「そう主張する」と並列になっているので、「そう」の指示対象を確認する。これは「自分で考える」ことは重要だという主張だ。
つまり「そんな姿勢」と「そう主張する」は同じ「自分で考えることは大事」という姿勢・主張なのだ。
そして「別の主張」は、そうした主張と根っこは同じはずだ。無意識に「別の主張」をしたいのだが、それがそうした主張として表れているのだと蓮實は言っているのだから。
また「残酷な体験」とは「思考の誕生」を指している。
「思考の誕生」は「他人と考える」ことによって起こると言っているのだから、それは「自分で考えること」(つまり上の「役割」「主張」)と対立している。
「思考の誕生」は「残酷」だという。だから「自分で考えること」の擁護とは、その「残酷」さに直面したくないというひそかな動機に基づいている。
そうした無意識はどんな「主張」をするか?
おそらく最も微妙な工夫が必要になるのは「別の主張」をどう表現するかだ。この問題の山場はここに、腑に落ちる表現を見つけることだ。
各クラスでの発表の多くは、「自分で考えることは大事」に似過ぎていて、それじゃあもう言葉が見つかっているじゃん、意識できているじゃん、になってしまっているか、「対立する主張」=蓮實重彦の主張になってしまってるじゃん、だった。
もしくは「主張」と言うに値するような命題の形になっていないか。
H組のN君の表現が秀逸だったので各クラスで紹介したが、つまりここに隠れた本音は「俺ってすげえ」なのだ。
ただこれでは「主張」っぽくないので、もうちょっと一般論ふうに言い直す。ここが難しくてどのクラスでもみんな詰まった。
例えば次のように言ってみよう。
・人にはそれぞれ独自の価値がある。
・人は誰も皆かけがえのない存在だ。
これは「個人の確立」から導き出される命題であり、それが「自分で考えることは大事だ」という形で語られる。だがそれは実は「自分には独自の価値がある」と信じたい欲求の表れだと蓮實は言っているのだ。
とすれば「思考の誕生」は確かに「残酷」だ。「俺ってすげえ」と思いたいのに、お前一人の考えなんか大したことはないと言われて、「かけがえのない個性を持った自分」などというものが幻想でしかないことを認めなければならないのだから。
「思考の誕生」はその「残酷」さを引き受けて初めて手にできる体験なのだ。
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