さて、メッセージとしてはシンプルな文章なのだが、多少は「読解」じみたことをやっておこうと問いかけたら、案外これが面白いことになった。
「自分ひとりで考え」たことなど「たかが知れている」というのは、まぎれもない事実です。人間が社会的かつ歴史的な存在である以上、それは当然でしょう。実際、一つの思考は、一つの考える主体がいくつもの考える主体と遭遇し、そこでの葛藤を通して、初めて思考の萌ほう芽が 的な可能性として形成されるものです。あたかも、この宇宙に自分一人しか存在していないかのような孤独な思考を「自分で考えること」として擁護する姿勢は、いかにもロマン主義的なものだというほかはありません。そんな姿勢の歴史的な役割は、遥はるか以前に終わっているはずなのです。にもかかわらず、なお「自分で考えること」の重要さが改めて指摘されたりするのは、どうしてなのでしょうか。
この一節の「歴史的な役割」とは何か?
上記引用から問いまでをそのままコピーしてChatGPTに貼り付けると一瞬で以下の回答が出力される。
この一節で言及されている「歴史的な役割」とは、孤独な思考を「自分で考えること」として擁護する姿勢が、ロマン主義的な時代や、近代以前の時代において重要な役割を果たしたことを指しています。そのような時代背景においては、個人の自由や独立性が重んじられ、社会的なつながりや集団の意見に従うことが否定される傾向があったため、自己決定や自己表現の重要性が強調されました。しかし、現代においては、社会的かつ歴史的な存在である人間が個人的な考えを独自に形成することは、必ずしも肯定されるべきことではなく、多様な視点や情報源からの情報収集が求められる時代になっています。
うーん。賢い。
だが、あれっ? というところがないでもない。どのへん?
もちろん、ChatGPTが多少ピント外れなことを言っても、それは引用されている部分が短いから、ともいえる。
とはいえ。
さて授業はさらにこの問いかけを解決することなく次の問いへとつなげる。
続く一節。
それは、そう主張する者の歴史的な無知をあからさまに示しています。あるいは、その指摘で何か別の主張をしたいと思いながら、それにふさわしい言葉が見当たらないのか、それとも別の主張をしたがっている「自分」自身に無意識なだけなのかもしれません。
この一節の「別の主張」とは何か?
「別の」なんだから、「自分で考えることは大事」以外なら何でもありか?
そうではない。蓮實はここに入る「主張」がどのようなものかを想定しているはずだ。
それはどんな「主張」?
この問いはたぶんかなり難しい。
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