曜日の特定は、後ろから遡って考えるしかないから、まずは⑤⑥の曜日を考えよう。
⑤奥さんがKに④を話す
⑥奥さんが「私」に⑤を話す
土 ⑦Kの自殺
⑦の土曜日が確定している。では⑤⑥はそれぞれ何曜日か?
根拠になるのは「勘定してみると奥さんがKに話をしてからもう二日余りになります。」という記述だ。
ここから、⑤が水か木、という二択になるということがわかる…。
いや待て。この結論はまだ早い。重要な未確定条件が考慮されているかどうか、検討されているか。
どこ? 何?
⑤が水か木、という推論を話し合っている時点で、もうこの「未確定条件」について話し合っているらしい声もあちこちから聞こえてきた。気づいた人たち、素晴らしい。
まず、手がかりとなる「二日余り」と「土曜日」から確実に言えることは何か、確認しよう。
確実なのは次の二点。
- 「奥さんがKに話す」と「勘定した」時点の日程が「二日余り」
- 「決心した」のが「土曜の晩」
本文から、上の2点を正確に表現することが既に結構難しい。
上の事実は⑤と⑥の間隔を表している。
下の事実は⑦が土曜であることを表している。
ここから⑤を木曜日だと結論するには飛躍がある。
この推測には「勘定した」時点と「決心した」時点、つまり⑥と⑦が同じ日であることが前提されている。だがそれはどのようにして断定されるのか。
⑥は自然と土曜日であるように感じられ、むしろそれを前提として(そこには推論の根拠など述べずに)、⑤や④についての推論へ進んでしまう。
だが、そこには上記のような論理の飛躍がある。我々読者はそれをどのようにして飛び越えたのか。
いやむしろ積極的に、同日内ではないと感じる、という人もいたかもしれない。
問題の曜日の記述(137頁)は「私が…待とうと決心したのは土曜の晩でした。」だ。「土曜の」という言及は、むしろ奥さんから話を聞いたのが土曜以前であることを感じさせないだろうか。同日内ならば「その晩」「その夜」という方が自然ではないか。
一旦そう言われると、にわかに⑥が土曜日ではないように感じられてはこないだろうか。この「感じ」は皆で共有しておきたい。
それでもなおかつ⑥と⑦が同じ土曜日の出来事であると読めるのか?
本当に⑥から⑦にかけて日を跨いではいないのか?
ごく自然にそう解釈してはいるのだが、なぜそうだと思えるのかとあらためて問われてすぐにその根拠を挙げることは難しい。明確にそうだとはどこにも書いてない。
議論のためには根拠を挙げる必要がある。国語科授業において重要なのは「結論=正解」ではない。どう考え、どう話し合うか、だ。
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