「私」が奥さんに、お嬢さんとの婚約を談判したのは、Kが自殺する土曜日から遡る五日前の月曜日であると結論しよう。
漱石がプロットをそのように設定して書いていると考えることは、そう考えることによって細部の文章表現がそうであることの必然性に納得できるということだ。⑥が土曜日であることも、そのようにして結論づけたのだった。
例えば「五、六日」は「経った」で「二、三日」が「過ごした」なのは「五、六日」がイベント間の間隔であることを示し、「二、三日」はその間の途中経過であることを示している、というH組S君のような説明も説得力がある。
だがこれで疑問が解消したわけではない。
「五、六日」の始まりが④の「奥さんとの談判」だとしても、「二、三日」の終わりが何なのかはまだ示されていない。
「二、三日」と「五、六日」が連続しているとすると、「二、三日」の終わりは「五、六日」の始まりだ。それを区切る、カウンターをリセットするイベントが見当たらないから、両者は連続しているのではなく重なっていると見做したのだが、ではなぜ「二、三日」という途中経過が語られるのか?
「二、三日」の後にあらためて「五、六日」を数え始めたにせよ、「二、三日」に続けて「四、五、六日」と数えていったにせよ、ともかくもその時点で「二、三日」と数える主観が存在するのは間違いない。
「こころ」における語り手の主観とは何かというのはやっかいな問題を含んでいる。建前上は遺書を書いている「私」(「先生」)のはずだが、実際は多くの部分では大学生当時の「私」とみなしていい。つまり通常の一人称小説のように読める。そしてもちろんその両者の背後に作者という主観がある。
ということは、少なくとも作者の中で何かが意識されているから「二、三日」という経過が示されたのだ。
では「二、三日」の終点は何か?
期間を示す言葉は、その始点と終点を必要とする、という切り口を示したが、もう一つ、次のような切り口が議論の中で提示されただろうか?
期間を示す言葉は、その間に何かが継続していることを表す。
つまり「二、三日」は、ある継続があり、それ以降は何か状態の変化があったことを表している。
時間経過が示されるにあたって何が継続しているかを判断するためには、ある程度の視野で展開を一掴みに把握する読解力が必要とされる。
だが、あれこれ悩んで、ためらって、迷って、というなら、④から⑥の間はずっとそういう状態が継続している。
では一体何が変わったというのか?
奥さんの態度の変化を指摘する者がいる。
④の後の「二、三日」は、「その上奥さんの調子や、お嬢さんの態度が、始終私を突っつくように刺激するのですから、私はなおつらかったのです。」という状態だ。
この奥さんの「調子」が、「二、三日」の終わりに変化する。奥さんは「私」を「突っつく」のを止めるのだ。
なぜこんな推測ができるか?
奥さんが「私」を急かしていたのは、婚約の話題を早くオープンにしたいからだ。だが「私」は一向にその話題を口にしない。業を煮やした奥さんは自らKに知らせてしまう。⑤だ。それを境に、婚約の事実は、もはやKにも知れた。もうこの話題はオープンな場で語られるはずだ。
そう思って待っているが、やはり一向にその話題は語られない。奥さんは不審に思いつつ「私」とKの態度を、探るように観察しているはずだ。
さらにこの後、Kの自殺が奥さんに衝撃を与える。奥さんは自分の⑤および⑥が、何らかの意味でKの自殺のきっかけになっているのではないかと恐れおののいているのだ。
この奥さんの心理についての推測は強い妥当性もっていると考えられるが、改めてそう考えてみるまでは、全く読者の想像の範囲外にある。「こころ」が「私」の視点から見た物語として書かれているからだ。
さて、なるほど、奥さんの態度は確かに⑤を境とする「二、三日」とそれ以降で変化するはずだ。
だが「私」がこのことに気付いているかといえば怪しい。奥さんがいつの間に「突っつく」のをやめたのかは、それが明示されていない以上、「私」の意識に強く浮上したとは考えにくい。
したがって、このことをもって「二、三日」の終わりが意識されていると考えるのは穿ち過ぎだろう。
だがこの奥さんの態度の変化があったろうことに気づくことは、この状況について考えるための情報が的確に把握されているということであり、賞賛に値する(授業者は気づかなかった)。
漱石はなぜ「二、三日」という途中経過を書き込んだのか?
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