次は④奥さんと談判したのはいつかを考える。
この推論の結果は⑥以上に、容易には一致しない。
推論の根拠は135頁「二、三日の間」と136頁「五、六日たった後」という記述だ。どちらも日程は前後2日間に渡る幅のある記述でしかないが、ばらつきはこの幅のせいで生じたものではない。
なぜばらつくのか? 推論過程にどのような違いがあるのか?
まず④を特定するための起点が、ここまでの確認事項である⑤の木曜(か水曜)と勘違いしないよう注意する必要がある。起点は⑥の土曜日だ。
そのうえで、結論は次の二択のはずだ。
A 月か日
B 土か金か木
これ以外は単純な勘違いのはず。起点が違っているか数え間違い。議論の中で整理されなければならない。
では、A「月か日」説とB「土か金か木」説は、それぞれどのような推論に基づいているか?
問題は「二、三日」と「五、六日」の関係がどうなっているかだ。ここが二通りの解釈を生じさせていたことが、上の二説として表れている。
A「月か日」とは、土曜からの日程を「五、六日」と数えている。
B「土か金か木」とは、「五、六日」に「二、三日」を足して「七~九日」と数えている。
Aは「二、三日」が「五、六日」の中に含まれる(重なっている)と考えている。Bは「二、三日」と「五、六日」が連続した一連の日程だと考えている。
B
「二、三日」と「五、六日」は足すべきか、足すべきではないか? 「二、三日」は「五、六日」に含まれるのか、含まれないのか? 両者は重なっているか、いないか?
A 「二、三日」と「五、六日」は重複している
B 「二、三日」と「五、六日」は連続している
先述の⑥と⑦は同じ日なのかという問題同様、自分の読みと違った読みの可能性については気づきにくい。他人と同時にテキストを読む、授業という場が、別の読みへの可能性を開く。
現状ではABどちらを支持する者もいる。どちらが適切か、両者が合意に至るよう議論をしよう。
重要なのは「正解=結論」ではない。結論にいたる推論の妥当性についての議論だ。
お互いに「なんとなく」では埒が開かない。堅実な考察と議論のための着眼点、切り口、論点を見つけよう。
論点を明確にするというのは、問題を一段抽象化するということだ。
どのような論点を共有したらいいか?
次のような認識が語られれば上出来だ。
- 期間を示す言葉には始点と終点がある。
- 期間を示す言葉は、その間に何かが継続していることを示す。
「始点・終点」や「継続」といった言葉を提示することが議論において有効であることを認識しよう。
では「二、三日」と「五、六日」の始点と終点はそれぞれどこか?
また、それらは何が継続されている期間を数えたものか?
先の「二日余り」ではこれらに疑問が生じない。始点と終点ははっきりしている。「勘定してみると奥さんがKに話をしてからもう二日余りになります。」は「奥さんがKに話をし」た日(⑤)から「勘定してみ」た日(⑥)の間を数えたことが明らかだ。
ではこの「二、三日」と「五、六日」についてはどう考えるべきか?
A説もB説も「五、六日」の終点が⑥のあった日であることは争うところがない。また「二、三日」の始点が④「談判」であることも同じだ。
問題は「五、六日」の始点がどこか、だ。
A説はこれを④の「談判」の日だと考え、B説は、「二、三日」の終点だと考える。これはどちらが妥当性が高いか?
A説支持者は「それから/さらに五、六日たった後」などと言うなら、Bのように連続していると考えられるが、それがない、と言う。
だが同様にB説支持者は「談判から五、六日たった後」と言うならA説であることが明らかなのに、と言う。
これでは水掛け論なのか? いやどちらもないのだから、どちらの妥当性が高いかを考えればいい。
これはA説だろう。
B説であることを明らかにする「それから・さらに」はなくしてしまうとにわかにどこが始点なのかがわからなくなる。だが④「談判」の日が始点だと考えるA説は、読者と作者の共通の了解事項に基づいている。だからわざわざそれを繰り返して言う必要がなかいとも言える。
「二、三日」と「五、六日」が重なっていないと見なすということは(B説)、途中にカウンターをリセットして日数を数え直す起点を認めるということだ。だがこれがその境目だと言いうるようなイベントは、読者と作者の間で共有されていない。
だから「五、六日」の始点は、共有されたイベント、すなわち④談判だと見なすのが妥当なのだ。
したがって漱石は、A「二、三日」と「五、六日」が重複している日程を想定していると考えられる。
漱石がプロットをそのように設定して書いていると考えることは、そう考えることによって細部の文章表現がそうであることの必然性に納得できるということだ。⑥が土曜日であることも、そのようにして結論づけたのだった。
例えば「五、六日」は「経った」で「二、三日」が「過ごした」なのは「五、六日」がイベント間の間隔であることを示し、「二、三日」はその間の途中経過であることを示している、などという、かつての生徒がした説明も説得力がある。



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