後期、年内いっぱい「こころ」を読む。
「こころ」は「羅生門」に次いで、その一部分とはいえ最も多くの日本人が読んでいる小説だ。
既に著作権はフリーだから、「青空文庫」←リンクはもちろん、ほぼ全ての出版社が、文庫本のラインナップに「こころ」を入れており、その全てで累計では最大のベストセラーとなっている。
たとえばこんなアンケートも。
東大生&京大生が選んだ『スゴイ本』ベスト30←リンク
ここでは1位の「こころ」以外にも、4位に「羅生門」、7位に「山月記」も挙がっている。
30位の「銀河鉄道の夜」の宮沢賢治は、代表作の一つ「永訣の朝」を年明けに読む予定。
18位の「舞姫」は3年で読むことになる。
東大生&京大生も、読書の入口はけっこう学校の国語の授業だったりするのだ。
「こころ」という小説の全体像を把握しておこう。
「こころ」は新聞連載小説で、各章の長さは連載一回分、1500字前後、原稿用紙4枚弱で揃っている。教科書本文中に挿入される「*」が連載一回分の切れ目を示している。これが合計110章、110日間、4か月弱、今から100年と少し前、毎日お茶の間に届けられたわけだ。
全体が三部構成で、各部の章立ては次のとおり。
上「先生と私」 36章
中「両親と私」 18章
下「先生と遺書」 56章
半分程が「下」であり、実際に「下」の内容が「こころ」として紹介されることも多い。
教科書も、「下」の35章から49章までを収録している。
「上」「中」で「先生」と呼ばれる人物が「中」の終わりに自殺することがほのめかされる。「下」は全体が「先生」の遺書そのものだ。したがって文中の「私」は、「上」「中」では「先生」より10歳ほど年下の大学生を指すが、「下」では「上」「中」で「先生」と呼ばれていた人物となる。だから授業で主人公を呼ぶときに「私」と言ったり「先生」と言ったりする(名前は小説中には明かされていない)。
「こころ」全編を読むことは大いに推奨したいが、さしあたって教科書の収録部分は全員読んでから授業に臨むこと。
そして読解も、基本的には教科書収録部分を対象に行う(時に、それ以外の部分を参考に示すこともあるが)。
授業者は文庫本を複数持っているので、全編読みたい希望があれば貸す。
またマンガ化されたものも複数持っているので、とりあえず全編をザッと辿っておきたいという人は申し出て。貸す。
それから映画化された作品もあるので興味があれば(アマプラに古い実写映画が上がっている)。
それよりも可能ならば見てもらいたいのは、以前、日本テレビでアニメ化した「青い文学」シリーズの中の「こころ」だ。
毀誉褒貶あって、嫌いな人は嫌うが、授業者としては、アニメとしても質が高く、それ以上にきわめて興味深い脚色がされていてオススメ。配信やレンタルで可能なら是非。
授業に入る前に二つの問いに答えておく。
問1 「こころ」の主題は何か?
「こころ」を読んだことのない友達に「こころ」ってこんな話、と紹介してみよう。
ただし「あらすじ」よりも抽象的な言い回しで言うようにする。この話は「どういう話」なのかが言えれば、それが「主題」だ。
「こころ」とはどういう話か?
小説の主題を考えるという行為は、そのテクストをどんな枠組で捉えるかを自覚するということだ。
「主題の考察」といえば、世の普通の授業では、何時間かの読解の後に、最後の考察として取り組む課題だろう。
だが、これを最初にやっておく意義は、現状の読みを自覚することにある。一読した皆ひとりひとりは、ひとまず「こころ」をどのような物語であると捉えたのか。これを自覚し、教室で共有する。
そして授業の中では、この読みの変化を体験したい。
変化しないのなら、授業で小説を読むことには意味がない。一人で読めばわかることを辿ってもしょうがない。
といって、読者としてわからないことを他人から「教わる」ことにもそれほど意味はない。
一人一人が読んで、考える。そのうちに、最初に一人で読んだときとは違った「意味」が立ち上がっていく。
認識の変容を表わす「コペルニクス的転回」という言葉があるが、「こころ」はこれが起こるテクストだ。
この、目眩がするような読解を体験してほしい。
もう一つの問い。
問2 Kはなぜ自殺したか?
この問いも、数時間の授業の後で考察するのが普通だが、上記と同じ理由で、今は一読した段階でどう捉えられているかを自覚する。
物語の主要な登場人物の死が受け手に与える衝撃は、物語を享受する情動のうちでも最も重大なものの一つだ。ともかくも小説を読んで、その死が衝撃的であるような登場人物の自殺について、その動機を考えずに済ます読者などいない。だからこの問いは、一読してさえあれば、問うことが可能だ。
例えば「羅生門」を読んで浮かぶ最大の問いは「下人はなぜ引剥をしたか?」だ。「山月記」ならば「李徴はなぜ虎になったか?」だ。
同様の問いは、「こころ」では「Kはなぜ自殺したか」のはずだ。
それらの問いに対する答えが、その物語の主題の形成にとって最も重要な把握だからだ。
Kの死をどう受け止めるかという問題と、「こころ」がどういう話だと考えるかという問題は、切り離して考えることはできない。
さて「こころ」とは何を言っている小説なのか?
Kはなぜ自殺したのか?
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