2023年7月5日水曜日

山月記 13 なぜ虎になったのか?

 「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」がもつ再帰的な循環構造によって「虎になる」とはどのような自体を指していると表現すれば良いか?

 これは「わかる」べきことではなく「表現」すべきものだ。

 適切な言葉を探すのだ。


 虎の象徴性を考えているとき、辞書を引いて「虎」に「酔っ払い」という意味があることを探し当てた者がいる。本文中でも、虎になることを「酔う」と表現している。

 「酔っ払い」は抽象概念ではないから、「象徴」とは言わず、「比喩」といったほうが良い。では「虎=酔っ払い」の比喩性とは何か?

 語源には諸説あるが、その一つは「酔っ払い」は猛獣のように手に負えないという意味だ、というものだ。

 つまり「虎」は「手に負えないもの」の象徴なのではないか?

 虎になることを「狂う」と表現し、「狂悖の性はいよいよ抑えがたくなった」という表現を見ると、虎の「強さ」は、周囲に向けられるものというばかりではなく、むしろ李徴自身にとって脅威であるような「強さ」、「暴走」や「暴発」につながる「凶暴」さなのではないかと思えてくる。

 虎は「制御できないもの」の象徴なのではないか?


 臆病さによって満たされない自尊心は、燻ったまま蓄積する。自尊心は他人からの評価を必要としているのに、自尊心故に他人に認められる機会を遠ざけずにはいられない。自己評価と客観的な社会的評価は乖離していく。

 結果は原因に帰っていく。互いの結果を自らの原因として双方向に循環しながら、やがて制御できないまでに増幅し、「猛獣」として李徴を虎にしてしまう。


 E組のS君は虎を「凶暴さ」の象徴として捉え、一方で人間の人間性を「理性」と表現した。李徵は心の中にうずまく虎を理性によって抑えている。それは今にも制御を失って溢れそうになっている。

 そうしたぎりぎりの均衡が崩れる。理性の象徴たる人間性を失った李徵は虎になる。それは荒れ狂うものの解放だ。

 こういった説明は例えば「人間の心が消えてしまえば俺は幸せになる」とか、李徵が虎になる瞬間の「何か体じゅうに力が満ち満ちたような感じで、軽々と岩石を跳び越えていった」といった記述とよく符合する。小説を全体としてよく捉えているとみなすためには、こうした、具体的な記述を拾うことも大切だ。

 そしてここでは「解放」というキーワードを提示できるかどうかが決定的に重要だ。

 さらにB組H君のノートを紹介する。再帰性の構造はやはり図示しないと把握が難しい。必要な情報が書き出されて整理された、とても見事なノートだ。

 上記の「解放」というキーワードの他に「逸脱」という語も書き留められている。これもまた「虎になる」現象を把握するためのキーワードとして有効だ。




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