全体の把握と部分の解釈は相補的だ。全体の論旨は部分の理解の集積だが、逆に全体の論旨が把握できることで部分が理解できるようにもなる。
そう思って全体の論旨を捉えた上で読み返してみると、どこかはすっきりしてかもしれないが、依然としてこの文章にはわからないところがあちこちにある。
わからないことは、どんどん質問してほしい。むしろ鋭い質問で授業者を困らせるくらいのことをしてほしいところだが、ぼーっとしていると「どこがわからないのかわからない」などという腑抜けたことになる。
あちこちから聞こえてくるポイントを全体で考えた。
まず文末の比喩。
もとより個がそこへと溶解していく情報の網の目も、相互に依存し合い絶えず組み替えられ作られていく、非実体的なものにほかならない。そうだとすれば集団性のなかへ解体していったといっても、そこに個は、新たな別の大陸を見出したのではなく、せいぜいのところ波立つ大海に幻のように現われる浮き島に、ひとときの宿りをしているにすぎないのである。
比喩と言えば「生物の多様性とは何か」の中の「自転車操業」について1クラスだけ考察を展開した。あれは面白かった。今回は全クラスで考えてみる。
比喩を含む表現を考えるには、とりあえず、何が、何の、どのような性質・状態を喩えているか、を明らかにする。「綿のような雲」という比喩は、「綿」が「雲」の「白くてふわふわしているありさま」を喩えている。
この部分で「綿」にあたるのは「大陸・大海・浮き島」だ。
だが「何の」と「どのような性質」は表現が難しい。
その中でもとりあえず文中の言葉に対応させられそうなのは「大海-情報」だ。「波立つ」という形容は「絶えず組み替えられ作られていく」イメージを喩えているように感じられる。
「情報」が「大海」だとすると「網の目」が「浮き島」に喩えられているのだろうか?
そう解釈しても悪くはないが、「網の目」でもまだ比喩なので、さらにそれが何を喩えているのかを考えよう。
「大陸・大海・浮き島」の三つはどのような関係になっているか?
「ではなく」型の文型は対比を示していることを忘れてはいけない。何と何が対比されているのか?
「大陸/浮き島」だ。ということは、それがどのような性質を表すかも、対比的な形容で捉える必要があるということだ。
どのように表現したらいいか?
全体論旨の把握から使える形容としては「実体/非実体・虚構」がどのクラスでも挙がった。考え方としては間違っていない。上記文中で「非実体的なもの」だと言われているのは「情報の網の目」であり、上に述べたように「浮き島」が「網の目」を喩えたものだとも考えられるからだ。
だが逆に「実体/非実体・虚構」を表そうとしたら、比喩として「大陸/浮き島」という喩えは想起しないはずだ。
では?
「個がそこへと溶解していく情報の網の目」と「集団性のなかへ解体していったといっても、そこに個は」は、「個」という主語と「溶解/解体」という述語が共通していて同一内容だと判断できる。すなわち「情報の網の目=集団性」ということになる。
つまり「大海に浮かぶ浮き島=情報の網の目=集団性」である。
ではこれはどのような性質・状態を喩えたものか?
「安定/不安定」が挙がった。これは良い。もう一つ。
「浮き島に、ひとときの宿りをしている」を利用するなら、「大陸」は「定住する」ものということになる。そこで「永続的・恒久的/一時的」という対比が想定できる。
大陸/浮き島
安定/不安定
永続的/一時的
実体/非実体
これでこの比喩全体を解釈できる。
こういうことだ。
個は情報の海に溶解していく。
だがそこにある何らかの「集団性」に安住の地を見つけようと思っても、それは「大陸」ではなく「浮き島」のようなものだ。場所も移動してしまうし、下手をすれば沈んでしまうかもしれない。「情報」という「大海」に浮かぶ集団もまたそのような「不安定」で「一時的」なものなのだ(席替えをすれば今の班のメンバーはかわってしまうし、年度が替わればクラス替えをする)。
こう言ってみれば、これはまったく全体の論旨そのままであることがわかる。
丁寧に順序よく考えていけば、すっきりと腑に落ちるところまで考えることができる。
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