2022年9月7日水曜日

多様性をめぐって 3 自転車操業

 授業数の多いH組のみで扱ったネタなのだが、思いの外面白かったので記しておく。

 文中で「動的平衡」を「永遠の自転車操業」と表現する箇所があるが、この意味はすんなりと腑に落ちているだろうか?


 必要ならば「自転車操業」を辞書で引いて、意味を確認しておく。その上で、この文章では何を言っているかを理解できているか、自らに問う。

 まず「自転車操業」という慣用表現は、「自転車」が「操業」の比喩になっている。そうしてできた「自転車操業」という言葉がさらにここで表わしたい何事かの比喩になっているという二重の比喩がここにはある。

 比喩というのは、二つの間に共通する特徴や構造があるときに成立する。「綿のような雲が空に浮かんでいる」といえば、綿と雲の間に「白くてふわふわする」という共通点があることで成立している。空一面を覆う雨雲には「綿のような」という比喩は使わない。

 ここでは次の三つにどのような共通点があるか?

  1. 自転車
  2. 操業
  3. ここで表したい何か

 まず、2の「操業」が何のことを指すのか、という問いに適切に答えられない人が多かった。ここで「操業」を辞書で引いてしまうと「機械設備を動かす」などという説明が出てくるのだが、それでは「自転車を運転するように機械を動かし続けること」ということになるが、これは何のことだ?

 ここでは「会社を経営する」か「お店を営業する」くらいの答えがほしい。「自転車操業」というのは、赤字で倒産寸前の企業の経営状態を指す慣用表現なのだ。「機械設備を動かす」に近いイメージでは「工場のラインを稼働する」といったところだが、工場の稼働を「自転車操業」と言ったりはしない。工場の稼働を含む会社の生産活動全体を指す表現だ。

 また、3は何か?

 端的にそれを表わす言葉を文中から指摘するなら「生命」ということになる。だが「自転車」と「操業」と「生命」の共通点は何? という問いは難しい。

 「生命」という単語では漠然としていて概念が広すぎる。一つ前の段落からの論旨のつながりをたどるなら「生命(または生態系)が動的平衡であること」あたりが適切か。

 あらためて三つを並べてみる。

  1. 自転車の運転
  2. 赤字企業の経営
  3. 生命の動的平衡

 共通した構造は?


 さしあたり「動き続けることでバランスを取っている」「止まると倒れる」くらいに言ってみる。

 これは自転車の運転についてはそのまま実感できる。それを2,3に適用してみると?

 2でいうなら「動き続ける」は営業を続けることであり、「倒れる」とは倒産することだ。借り入れの返済のために、営業して得られた収入をそのまま借金返済と次の営業のための資本に充てるという回転を続けないと、直ちに倒産する。

 これを3にあてはめると「倒れる」とは死ぬとか生態系が壊れる、ということだ。

 では3で「動き続ける」は?


 文中から指摘できるのは次の段落で「絶え間なく元素を受け渡しながら循環している」といった表現で表わされるような生命の在り方だが、これはいささか抽象度が高い。具体的には?

 植物が光合成をして、それを動物が食べ、その動物をさらに捕食者が食べ、死骸を微生物が分解する…といった様々な食物連鎖を想像したい。あるいは個体の身体ならば、食べたものが消化され、身体組織を作り、新陳代謝によって排泄される…という生命現象。

 そこでは、ある生物が死ぬことで別の生物に取り込まれるという元素の受け渡しが行われる。「自らを敢えて壊す。壊しながら作り直す」と表現されているのは、食物連鎖における個体の「死」と別の個体の「生」だ。「壊すことによって蓄積するエントロピーを捨てることができる」は、個体が死ぬことで「老化」というエントロピーをリセットして、新しい個体はエントロピーのない状態からスタートできる、ということだ。


 比喩表現は「何となくわかる」といったわかり方で伝わるものなのだが、こうして厳密に説明できるかどうかで「ちゃんとわかっている」かどうかが試される。というか、厳密に説明しようとすることで「ちゃんとわかる」ようになるところが授業としては有意義だ。

 以上の考察に、1時限を費やした。機会があればまた文中の比喩を使った考察をしたい(今の時点でも来年の授業で「永訣の朝」とか「こころ」とか、そういう考察をする予定はある)。

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