ところで夏休み明けの最初の教材がこれだというのはどういう意図があるか。
実はこれもまた「羅生門」以前に読んでいた文章が扱っていた主題に関連させようというのだ。
どれと?
この文章が載っている頁の直前が実は見慣れた「共に生きる」という単元だ。自立という主題をめぐる三つの文章の読み比べが企図された単元だった。
「自立」と「生物多様性」?
「共に生きる」の三つの文章、鷲田は哲学者、松井は経済学者、伊藤は美学者で、それぞれまったく異なった分野の専門家の文章だが、それでも「共に生きる」では「自立」という共通テーマを読み取ることができた。今度はそこに分子生物学者、福岡伸一の「環境」「生態系」をテーマにした文章を並べる。分野は違うのに、その論旨には奇妙な類似性がある。
どんな?
実は「生物多様性はなぜ大事か?」という問いに対する答えをここまで明示していないが、これはここで併せて表現してしまった方が面白いと思ったからだ。
それは「どうしたらより良い自立ができるか?」とか「自立にとって市場はなぜ有効か?」とか「人が持っている力とはどのようなものか?」といった問いに対する答えと意外なほど共通しているのだ。
これは偶然だろうか?
そうではない。そのことは、この教科書を作った編集部も自覚的だ。編集者の一人に直接確かめてみた。こんなふうに共通する論旨をもった文章が単元違いで並んでいるのはわざとか?
わかってやっているのだそうだ。
その共通点が何かをここに語る前に、もう一つの文章を接続させる。
若林幹夫の「多層性と多様性」は、そのまま「多様性」について述べているから、「生物の多様性とは何か」と読み比べることはもちろん可能だ(ただ、全体を充分に読解しようとするには難易度が高いので、ここでは「多層性」に絡む議論にはあまり踏み込まない)。
この文章で語られる「多様性」を「生物の多様性とは何か」の議論と読み比べると何が言えるか?
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