第二回の一斉テストに出題した伊藤徹「柳宗悦 手としての人間」は東大入試で出題されたものだ。元の問題は「なぜか?」か「どういうことか?」を説明する記述問題で採点に手間だから、それを作り替えて、選択肢を作ったり、根拠や言い換えを文中から探させたりしている。
これを出題したのは、高校一年生に東大の、しかもとりわけ読みにくい文章を出題してビビらせてやろうなどといった意地悪ではない。これもまた今まで読んできた文章の問題意識、認識と重なるところが多いからだ。
テスト中には時間が足りなくてあまりに消化不良だったろうからと、テスト後の授業で読み返してみると、あちこち突つきき甲斐のあるところがあって楽しくなってきてしまった。1時限で終わるつもりが、どこのクラスでも2時限以上時間をかけてしまっている。
それにしても読みにくい。これはもう原文が根っからそういう調子なのだということでもあるが、出題にあたっての切り取り方のせいでもある。問題文冒頭がもうわからない。それが後を引いてしまう。そこに、情報密度の高い、捻った表現が次々に出てくる。
読みにくい文章を読むテクニックはいろいろあるが、意識的に使える技術として授業で三つ実践した。
まずはテーマ・主題を定める。
これは掴み所のない物に把手をつけるということだ。丁度良い把手があればモノは扱いやすくなる。多少外れていても、把手が無いよりはいい。手がかりを見つけて、そこに手をかけて力が伝わるように(考えが集中するように)するのだ。
10文字以内、2~3文節で、と指定したら、全クラスで中盤過ぎにある「集団への個の解体」が挙がった。最大公約数的にこれがテーマを表していると感じられるフレーズなのだ。
そう思って冒頭を見るといきなり「個の没落」という言い方で、同じテーマが提示されている。2段落でも「個の稀薄化」とある。評論では、こうした言い換えが始終行われる。
「個の解体」がテーマだと考えることで、まず「個の解体」と表現される事態がどのようなものか、なぜそれが起こったのか、それによってどのようなことが起こるのか、といったあたりに話が展開しそうだぞ、という予想が立つ。これが考える上での手がかりになる。
ところで「没落・稀薄化・解体」はどれも一種の比喩だが、中でも「没落」が最もわかりにくい。「没落」? 前は貴族か何かだったのか?
ここでは、「近代における個人の確立」が共通認識として前提されている。前期の授業で、そうした認識について書かれている文章をいくつか読んだ。「没落」という言葉は、裏にそうした認識があるという前提を理解していないと、何を意味しているかがまったく理解できない。
もう一つの技術は対比をとることだ。
「個」の対比は何か? 一段落に限定すると?
二つと指定して探させた。
一段落では、「個(人)」は「判断の基盤としての」と形容されるから、「判断の基盤」として「個」ではない何が言及されているか、と探す。
- 未だ生まれぬ世代・後の世代とのなんらかの共同性・時間的広がりを含み込んだ人類
- 人間以外の生物はもちろん、山や川などさえも超えて、「地球という同一の生命維持システム」
が見つかればいい。
もちろん「個」の対比は「集団」で、この対比は中盤以降に明示される。
つまり以下の対比がアナロジー(類推)になっている。
個/集団
現代人/後の世代を含む人類
人間/地球・生態系
社会を問題にするなら「個/集団」という対比でいいのだが、一段落では環境問題について語られるため、こんなわかりにくい、ズレた対比になっているのだ。
さてもう一つは要約だ。なるべく短く言ってみる。
例えばテーマが「個の解体」ならば、「個は解体している」と言えば文になる。そこにさらに対比を導入する。
個は解体しつつあるが、拠り所となる集団もまた想像力によって作られた虚構に過ぎない。
授業で30字以内と言っていたわりに上のは40字くらいになってしまった。
まず、要約しようとすることが考えるための集中力を支えてくれる。「わかろう」とするのではなく、その先に「言おう」とすることが、途中経過の「わかる」を促すのだ。
かつ、コンパクトに言ってみると、その後で何か考えるための取り回しが楽になる。
以上三つの技術、いたずらに「わからない」と手をこまねいているよりも、意識的に使ってみる。
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