ここまで7回の授業で「羅生門」を読んできた。定期考査が終わってから、ほぼ一ヶ月、今年度初で、最後かもしれない小説の読解を体験してきた(いや、もう一編くらい読みたい)。
そういえば「羅生門」の認知度調査に回答してくれた69名の皆様、ご協力ありがとう。
読んだことがあるというご家族は58名、約84%だった。やはりこれだけ読まれている小説は他にない。
一方で「ない」と断言した方が7名。約1割のご家族は「羅生門」を扱わない高校生活を送ったのだ。
「生きるためのエゴイズム」というテーマについては半分が「そんな感じだと聞いた」と答えている一方、半分は「よくわからない」だそうだ。確かに高校生の頃の授業の内容を覚えているかといえば授業者も怪しい。
一方で「違う話を聞いた」と6名が答えている。気になる。どんな話だったのだろう。
「エゴイズム」というテーマについては、多くの方が「そう聞けばそうだと思う」か、「わからない」と答えているが、5名が「そうは思わない」だそうだ。これも気になる。上記の方と重なっているのだろうか。
授業者が「一般的な解釈」と言っているのは、文学研究や国語科教材研究の世界での話で、それこそ「一般」の方の認識はどうなっているのかは知りたいところだ。上記の少数派の話を聞いた方、教えてほしい。
小説の読解は、ある意味では評論やその他の実用的文章を読むことと変わらない。テキスト細部から必要な情報を拾い上げて全体を構造化することだ。
同時に構造の中において初めて持つ細部の表現の意味を捉えることでもある。全体の構造化と細部の意味づけは相補的に働く。
「羅生門」の読解においてやってきたのはそういうことだ。
全体の構造をどう組み立てるかと、細部の表現をどう意味づけるかといった思考を相互に整合的に働かせる。
そうして現状で納得できる「構造」「意味づけ」が前回までに見てきた「羅生門」解釈だ。
「生きるために人が持つエゴイズム」について書いてあるのだという「羅生門」理解は、例えば下人の心理の描写を充分に「意味づけ」ておらず、そうした「構造」は言わば基礎工事が手抜きされた砂上の楼閣に過ぎない。
そうした「羅生門」理解に従って「生きるための悪は許されるか」などという問題について考えることは、むしろそうした観念的アポリア(難問)からの脱却を描いているという小説の主題に反している。それは国語の授業ではなく「道徳」の授業だ(もちろん「道徳」の授業にもまた別の意味があるので、「羅生門」に関係なく行うのならそれも良い)。
上で「ある意味では」と書いたが、小説の読解は、そこに書いてある具体的な事柄から、一段抽象度を上げて、それを意味づける必要がある。「主題」と言っていたのがそのことだ。小説中の5W1Hをただ確認しても意味がない。そこからどのような「意味」を酌み取るかが「構造化」であり「主題」の考察だ。
一方評論は、本文の言葉と抽象度を変えずに「全体の構造化/細部の意味づけ」を行う。本文が既に抽象度が高いからだ。
だがそこで論じられている問題が、我々の現実とどう関わっているかを考える、という意味で、やはり本文から一段抽象度を上げることが必要でもある。
ちょうど「羅生門」の読解の終わりに参院選があり、その最中に前首相の銃撃事件があったのは、何だか不思議な巡り合わせだった。
事件直後は、選挙演説中の政治家を銃撃することは「言論を封殺するテロリズムだ」といった言説がマスコミに流れ、多くの政治家もマイクを向けられるとそう語っていた。
だが少しずつ伝わってくる犯人像は、どうもそうした政治的テロリズムのイメージと乖離しているようだ。自分の家族がある宗教団体のために不幸になり、その団体と前首相が関係していることから恨んでいた、という話などを聞くと、犯人には何か政治的な理念があるようには感じられない。
それが筋違いや勘違いの逆恨みだとすれば不幸なことだが、そうでなくとも少なくとも自分の家族の不幸を一人の政治家に向けるのはどうみても現実的ではない。
つまり彼が撃ちたかったのは、現実的な肉体や家族をもった一人の人間ではなく、彼の「観念」の中にしかない「悪」だったとしか思えない(もはや「観念」と言うより「妄想」でしかないが)。
一方で、政治的テロリズムとしての確信犯もまた、やはりある観念としての「敵」を排除しようとしているのだとも言える。政治的テロリズムがしばしば「ジハード(聖戦)」の名の下に行われるのは、そうした観念が人を動かすことを示している。
いずれにせよ、芥川の描こうとしたモラルの虚妄は、こうした現実の悲劇と根を同じくしている。
「羅生門」の後は「現国」の教科書に戻って「〈私〉時代のデモクラシー」を読む。
これもまた参院選の後に読むことが感慨深い。ここに提起された問題は、まさしく文章の内部で完結するわけではなく、まぎれもなく現実の、今ここで起こっている問題なのだ。
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