2022年7月6日水曜日

羅生門 16 最終考察のヒント

 下人の「心理の推移」が、どのような論理によって引剥ぎという「行為の必然性」を導き出すのか?

 「老婆の論理」に拠ってだ、と考えるとそこで思考停止してしまうのだが、「老婆の論理」を否定して、「心理の推移」が「行為の必然性」にいたる論理を見出すことには、ある発想の飛躍が必要だ。

 これはやはり解くには難しい問いだ。

 少々誘導しよう。

 「なぜ引剥ぎをしたか」という問いは「なんのために引剥ぎをするか」という問いではない。「行為の必然性」とは変化の必然性のことだ。すなわち、「なぜできなかった引剥ぎができるようになったのか」である。

 ここから問いを「なぜ門の下では盗人になる勇気が出ずにいたのか」と置き直しておこう。問題は二つの位相の相違と、それを生じさせたメカニズムである。

 

 さて、門の下で下人の中にあったのは、どのような論理・価値の拮抗か?

 具体的には「a.飢え死にをする/b.盗人になる」という選択肢の間での逡巡だ。

 これを抽象化する。

 「死/生」が挙がるが、下人は「死」を選択しようとしているわけではない。

 選択すべき価値としては「善/悪」も悪くないが「a.正義/b.悪」がいいだろう。

 最初の時点で「a.飢え死に/b.盗人」は拮抗している。この拮抗のバランスは、途中完全にa「飢え死に」に傾く。

下人は、なんの未練もなく、飢え死にを選んだことであろう。

 そして最後には完全にb「盗人」に傾く。

飢え死になどということは、ほとんど考えることさえできないほど、意識の外に追い出されていた。

 つまり最初の「a.正義/b.悪」の拮抗は一度完全にaに振り切れ、その後完全にbに振り切る。この変化は極端である。

 「老婆の論理」説は最後にbを選ぶ必然性を説明しているだけで、途中で一旦aに振り切る極端な変化はなぜ生じているのか、なぜそのことを執拗に書くのかという疑問には答えていない。

 最初の拮抗は、確かに拮抗してはいるのだが、現状はaでありこのままでは「飢え死に」してしまう。下人にとってはbを実行できるかどうかが問題だ。

 最初bに進む勇気が出なかったのはなぜか?

 最初にbを実行できないでいた理由としては、論理的にはaの引力が強かったからか、bの抗力が強かったから、の二択だ。

 「盗人」になるのをためらっていたのはa「正義感」が強かったからか、b「悪」に抵抗を感じていたからか?

 盗人になることを妨げていた下人の「a.正義」が力を失ったことで盗人になれたのか、「b.悪」に対する抵抗が弱まったことで盗人になる「勇気が生まれてきた」のか?


 手がかりになるのが先の「心理の推移」の考察の際に確認した①の「憎悪」と③の「憎悪」の比較だ。

 最初の迷いからaに極端に振れてしまったところに①の憎悪が生じている。

 そして、③の憎悪の後にbに振れる。

 ということは、先に考察した①と③の相違が、aからbへの変化に対応しているのではないか?


 ①と③の相違を次のように整理する。
















 この比較を可能にするために「共通点」を確認することが必要だったのだ。

 先の「相違」が示す相違を、その対象の違いとして表現する言葉を探すのである。

 問題は下人の「悪」に対する認識の変化である。

 大詰めだ。

 下人はなぜ引剥ぎをしたのか?


0 件のコメント:

コメントを投稿

よく読まれている記事