下人の「心理の推移」が、どのような論理によって引剥ぎという「行為の必然性」を導き出すのか?
「老婆の論理」に拠ってだ、と考えるとそこで思考停止してしまうのだが、「老婆の論理」を否定して、「心理の推移」が「行為の必然性」にいたる論理を見出すことには、ある発想の飛躍が必要だ。
これはやはり解くには難しい問いだ。
少々誘導しよう。
「なぜ引剥ぎをしたか」という問いは「なんのために引剥ぎをするか」という問いではない。「行為の必然性」とは変化の必然性のことだ。すなわち、「なぜできなかった引剥ぎができるようになったのか」である。
ここから問いを「なぜ門の下では盗人になる勇気が出ずにいたのか」と置き直しておこう。問題は二つの位相の相違と、それを生じさせたメカニズムである。
さて、門の下で下人の中にあったのは、どのような論理・価値の拮抗か?
具体的には「a.飢え死にをする/b.盗人になる」という選択肢の間での逡巡だ。
これを抽象化する。
「死/生」が挙がるが、下人は「死」を選択しようとしているわけではない。
選択すべき価値としては「善/悪」も悪くないが「a.正義/b.悪」がいいだろう。
最初の時点で「a.飢え死に/b.盗人」は拮抗している。この拮抗のバランスは、途中完全にa「飢え死に」に傾く。
下人は、なんの未練もなく、飢え死にを選んだことであろう。
そして最後には完全にb「盗人」に傾く。
飢え死になどということは、ほとんど考えることさえできないほど、意識の外に追い出されていた。
つまり最初の「a.正義/b.悪」の拮抗は一度完全にaに振り切れ、その後完全にbに振り切る。この変化は極端である。
「老婆の論理」説は最後にbを選ぶ必然性を説明しているだけで、途中で一旦aに振り切る極端な変化はなぜ生じているのか、なぜそのことを執拗に書くのかという疑問には答えていない。
最初の拮抗は、確かに拮抗してはいるのだが、現状はaでありこのままでは「飢え死に」してしまう。下人にとってはbを実行できるかどうかが問題だ。
最初bに進む勇気が出なかったのはなぜか?
最初にbを実行できないでいた理由としては、論理的にはaの引力が強かったからか、bの抗力が強かったから、の二択だ。
「盗人」になるのをためらっていたのはa「正義感」が強かったからか、b「悪」に抵抗を感じていたからか?
盗人になることを妨げていた下人の「a.正義」が力を失ったことで盗人になれたのか、「b.悪」に対する抵抗が弱まったことで盗人になる「勇気が生まれてきた」のか?
手がかりになるのが先の「心理の推移」の考察の際に確認した①の「憎悪」と③の「憎悪」の比較だ。
最初の迷いからaに極端に振れてしまったところに①の憎悪が生じている。
そして、③の憎悪の後にbに振れる。
ということは、先に考察した①と③の相違が、aからbへの変化に対応しているのではないか?
①と③の相違を次のように整理する。
この比較を可能にするために「共通点」を確認することが必要だったのだ。
先の「相違」が示す相違を、その対象の違いとして表現する言葉を探すのである。
問題は下人の「悪」に対する認識の変化である。
大詰めだ。
下人はなぜ引剥ぎをしたのか?
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