「未来の他者と連帯する」の3段落、「双曲割引」の話から筆者が導き出す見解を次のように表現してみよう。
他者/自分の違いよりも、未来/現在の違いの方が大きい
これはなぜ「悲観的」なのか?
むろん「連帯することは難しい」ということになるからだ。
何と?
「他者と」ではなく「未来と」なのだ。
この文章の論理展開はやはり不自然だと思う。わかったようなわからんような理屈で結論を導き出しているように授業者には感ぜられる。
1.未来の他者と連帯することはできるのか?
2.人間は未来の他者のために働くことができる(希望的)
3.未来と連帯することは難しい(悲観的)
4.未来の他者と連帯することはできる(希望的)
2で既に1の問いに「できる」と答えられるはずなのに、3がなぜ必要なのかもわからないし、3を2とあわせるとなぜ4の結論にいたるのかわからない。
どういう論理の流れならば筋が通るか?
2が原文のような趣旨では、すぐに1の問題に対する回答が得られてしまう。論理的に可能な2を創作しよう。
結論4で述べられているのは以下のような論旨だ。
4.難しいのは「他者と連帯すること」ではなく「未来と連帯すること」だ。未来の「自分」も「他者」なのだから、「自分」のためにがんばることは(難しいにしても)できないわけではないとすれば、「他者」のためにがんばる(連帯する)ことができないわけではない。
そして3の肝が、「他者との連帯の難しさ」ではなく「未来との連帯の難しさ」を述べる点にあるということは、まさにそこで否定されるべきことがらを、2で述べておけば良いということになる。
つまり2では原文のような「希望的なこと」を語らずに、2でも「悲観的なこと」を述べればいい。
授業者の提案はこうだ。
1.未来の他者と連帯することはできるのか?
2.我々は他者のためにがんばることは難しい(悲観的)
3.我々は未来の自分のためにがんばることも難しい(悲観的)
4.難しいのは「他者と連帯すること」ではなく「未来と連帯すること」だ。だが未来の「自分」も「他者」なのだから、「自分」のためにがんばることは(難しいにしても)できないわけではないとすれば、「他者」のためにがんばる(連帯する)ことができないわけではない。
2の「悲観的」前提と3の「悲観的」前提をあわせると、かろうじて「希望的」な結論にいたる…、という論理なら、それなりに納得することができる。
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