2022年4月26日火曜日

共に生きる 2 自立と市場

  次の「自立と市場」(松井彰彦)は少々難しい。「自立」と「市場」に何の関係があるのか、にわかにはわからない。

 ここでは、市場の性質を2点挙げよ、と問うた。その性質が「自立」とどう関わるのか?


 文章の中ではこの「2点」は文脈に埋もれてしまって目立ちにくい。ちょっと引いて、遠目に見ることで、二つの要素を分離する。

 ここで述べられている市場の性質とは次の2点。

選択肢が多いこと

つながりが緩いこと(文中では「しがらみがない」)

 これらの性質は「自立」というテーマとどう関わるか?


 これも、逆を考えてみる。

 選択肢が少ないとそこへの依存が強くなる。依存先が多いことが、共通テーマである「相互依存による自立」を可能にする。

 つながりが強い・きついのも過度の「依存」に陥る。「依存」先を自由に移れるのも多くの関係者による相互依存を可能にする。

 つまり「市場」は、ある時には「自立」の助けになるのである。


 さてでは「市場」と対比されるのは何か?

 市場が自立の助けになる、と言うときには市場はそうでない何と比較されているか?

 この問いには多くの者が苦戦した。

 どこのクラスでも「命綱」を挙げる者が多かった。本文に「太いが切れたら終わる一本の命綱に頼っていた生活から、緩いつながりで形成された支援の市場の網の目に支えられる生活となる」という一節があるからだ。確かにここでは「命綱」と「市場」が構文上、対比されている。

 だが「命綱」は比喩だ。「市場」という言葉と、概念の階層が揃っていない。

 例えば「命綱よりも市場の方が自立の助けになることがある」という文は、何を言っているか、よくわからない。これは「命綱」が「市場」と対立的な概念として揃っていないことを表わす。


 こう考えよう。「市場」と対比される側に、二つの例が挙げられている。何か?


 文中で語られる例は、前半の「親子」と、中盤の「小十郎と商人」だ。これらを引っ括って一般的に言える言い方を考えよう。


 対比をとるには、概念レベルを揃えることが大切だ。

 「市場/親子」「市場/小十郎と商人」は対比的だが、それらをまとめて、「市場」と釣り合う言葉で表そう。


 ということでそれぞれのクラスで誰かが思いつく。

 「個人的な関係」あたりがいいだろうか。「個人的な関係」という表現は、抽象度を一段上げた概念を表わしていて、「親子」も「小十郎と商人」もその具体例だ。

 個人的な関係は選択肢が少ないし、つながりも強くなる。それだけ依存が強くなって自立は難しい。「市場」はそういった個人的な関係に対する対比的な選択肢なのだ。


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