2025年10月22日水曜日

共に生きる21 生物多様性2 自転車操業

 この文章で述べられているのは、生物多様性がなぜ大事か、であり、それには「動的平衡」という考え方を理解することが求められている。

 それを考える糸口として面白い箇所をとりあげよう。

 文中で「動的平衡」を「永遠の自転車操業」と表現する箇所があるが、この意味はすんなりと腑に落ちているだろうか?


 必要ならば「自転車操業」を辞書で引いて、意味を確認しておく。その上で、この文章では何を言っているかを理解できているか、自らに問う。

 この一節の面白いのは、そもそも「自転車操業」という慣用表現が既に比喩で、それがさらにここで表わしたい何事かの比喩になっているという二重の比喩になっているということだ。

 比喩というのは、二つの間に共通する特徴や構造があるときに成立する。「綿のような雲が空に浮かんでいる」といえば、綿と雲の間に「白くてふわふわする」という共通点があることで成立している。空一面を覆う雨雲には「綿のような」という比喩は使わない。

 ここでは二重の比喩、つまり三つの対応項目の間に、どのような共通点があると言っているのか?


 まずは比喩されるものと比喩の三層構造を整理しよう。何が何に喩えられているのか? 上の「雲」が「綿」に喩えられている、というときの「雲」「綿」にあたるものは?

  1. 自転車
  2. 操業
  3. 動的平衡

 まず2の「操業」は何のことか?

 ここで「操業」を辞書で引いてしまうと「機械設備を動かす」などという説明が出てくるのだが、それでは「自転車」と「機械」がカテゴリーとして混乱するので、比喩として機能しない。

 ここでは「会社を経営する」「お店を営業する」ほどの意味。「自転車操業」というのは、赤字で倒産寸前の企業の経営状態を指す慣用表現だ。

 2の「会社の経営」に合わせて1も「自転車の運転」と揃えておこう。ここに3も揃えて「~の~」で表そう。

 「動的平衡」が「自転車操業」によって比喩されているとは、「動的平衡」の仕組みが「自転車操業」的だということなのだが、この「動的平衡」が、さらに何を指しているかを考える。

 発表させてみるといろいろな言い方が提案されたのだが、その中でも次の三つは適切であり、かつ興味深い。

  • a.生態系の保全
  • b.生命の維持
  • c.種の存続

 これらは全く別のレベルのことを指している。bは個体レベルの話で、cは「種」、aの「生態系」となれば動植物全てを一括りにしている。

 そして、この一節の「動的平衡」が、どれを指しているかを特定することは難しい。本文全体はa「生態系」の話だったはずだが、この前後では「生命」の語が使われている。といって「生命の時間はずっとずっと長い。何万年。何億年。」といった表現は、一個体の「生命」に限定すべきではないように思える。

 にもかかわらず、ここでの「動的平衡」で説明しようとしている例としてどれも適切だ。

 福岡伸一はこれらミクロからマクロまでの生命現象を全て「動的平衡」という考え方で捉えようとしているのだ。

 とりあえずもう一度比喩の三層構造を再確認。

  1. 自転車の運転
  2. 会社の経営
  3. 生態系の保全


 123に共通している性質をさしあたり「動き続けることでバランスを取っている」「止まると倒れる」くらいに言ってみる。これがもともと「自転車操業」という慣用表現の元になっている自転車の運転についての性質だ。これははそのまま実感できる。

 これを2,3に適用してみると?

 2でいうなら「動き続ける」は営業を続けることであり、「倒れる」とは倒産することだ。借り入れの返済のために、営業して得られた収入をそのまま借金返済と次の営業のための資本に充てるという回転を続けないと、直ちに倒産する。


 これを3にあてはめると「倒れる」とは生命現象の停止、すなわち死を意味する。

 では3で「動き続ける」は?


 文中から指摘できるのは次の段落で、絶え間なく元素を受け渡しながら循環している、といった表現で表わされるような生命の在り方だが、これはいささか抽象度が高い。具体的には?


 具体的にはabcで言い方を変える必要がある。

 a「生態系」で言えば、植物が光合成をして、それを動物が食べ、その動物をさらに捕食者が食べ、死骸を微生物が分解する…といった様々な食物連鎖を想像したい。

 そこでは、ある生物が死ぬことで別の生物に取り込まれるという元素の受け渡しが行われる。「自らを敢えて壊す。壊しながら作り直す」と表現されているのは、食物連鎖における個体の「死」と別の個体の「生」だ。「壊すことによって蓄積するエントロピーを捨てることができる」は、個体が死ぬことで「老化」というエントロピーをリセットして、新しい個体はエントロピーのない状態からスタートできる、ということだ。

 b「生命」では、aの全生物が、さしずめ全身の体細胞に対応している。誕生と死滅を繰り返しながら、福岡伸一がよく用いる表現を使えば1年で全身の元素が入れ替わってしまっているのに、その個体はその個体のアイデンティティを保っている。

 c「種」では、その種の個体はどんどん入れ替わっているのに、種全体は(ゆるやかに変化をしながらも)存続している。


 比喩表現は「何となくわかる」といったわかり方で伝わるものなのだが、こうして厳密に説明できるかどうかで「ちゃんとわかっている」かどうかが試される。


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