ところで、この文章をここで読むことにはどういう意図があるか?
この文章が載っている頁の直前が実は高校に入って最初に読んだ「共に生きる」という単元だ。自立という主題をめぐる三つの文章の読み比べが企図された単元だった。
「生物の多様性」は別の単元だが、「共に生きる」の直後の一つ目に置かれていることの意味について、編集部は意図している(実際に編集部に聞いてみた)。
この文章は「共に生きる」シリーズの9本目の文章として読んでいるのだった。
そう思ってこの文章を俯瞰してみると、その論理にはここまでの8本の文章と奇妙な類似性があることに気づく。
どんな?
8本の文章すべてに通ずる魔法のフレーズは「他者とのつながり(が大事)」だった。この文章もそうだということは感じられるだろうか。
さらに、8本の中のとりわけ、どれと濃厚な共通性が見つかるかと言えば、「生物の多様性」を読んでいて「相互依存的」という言葉が登場するあたりで、注意が喚起され、連想をはたらいてほしい。
動的平衡においては、要素の結び付きの数がおびただしくあり、相互依存的でありつつ、相互補完的である。だからこそ消長、交換、変化を同時多発的に受け入れることが可能となり、それでいて大きくバランスを失することがない。
ここなどは、「自立と市場」で松井彰彦が自立における市場の有用性を認める論理と重なるはずだ。
数多くの緩いつながりに支えられた生活、それが市場経済の本質である。
生態系と市場には共通して、数多くのプレイヤーによる相互依存の構造がある。福岡がそれによって生態系が「大きくバランスを失することがない」というのは、いわば動的平衡による生態系の「自立」を語っているのだ。
社会も一種の生態系なのだ。そこで生活をすること=自立と、地球環境における生態系が、「相互依存的」という論理で類比される。
これもまた「共に生きる」がテーマなのである。
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