豊太郎の「不興なる面持ち」を、その1頁ほど前の、エリスの妊娠が発覚してからの「心は楽しからず」を参照せずに解釈するのは不自然だ。
だが、エリスの妊娠が引き起こした憂鬱を、この場面で唐突に豊太郎が顔に出したと考えることはできない。とうのエリスを前にして、妊娠が憂鬱だなどという心の裡を顔に出していると考えるのはあまりに不自然だ。
またこれでは、妊娠発覚の後1頁程の、相沢の訪独の展開が考慮されていない。
エリスの妊娠と相沢の訪独。この二つを結びつけて、豊太郎の「不興」を説明すべきなのだ。
では豊太郎はエリスの妊娠になぜ「心は楽しからず」思ったのか?
とはいえわざわざ考えるまでもなく、恋人の妊娠を「楽しからず」思う心理には疑問はないようにも思える。だが敢えて挙げるなら、どのような不満や不安があるのか?
ここで生活の困窮などを挙げてはいけない。確かに現在の日本の少子化問題などを考えるときに挙がるのは、子どもを作らないのは収入の不足であるように語られたりもする。
だがそれではエリスの心理の変化に対応していない。
それよりも、端的に言えば豊太郎は逃げたいのだ。後に天方伯に帰国の意志を問われて承諾した時にも「本国をも失ひ、名誉をひきかへさん道をも絶ち、身はこの広漠たる欧州大都の人の海に葬られんかと思ふ念、心頭を衝いて起これり」と述べている。エリスの妊娠はこれまでの過去の栄誉を棄て、未来の可能性を限定してしまうことになる。それが豊太郎を「心楽しからず」させる。
そこに手紙が届く。
以前にも自分の窮状を救ってくれた相沢の訪独と大臣への謁見は、自分の「名誉を回復する」可能性を示している。エリスさえその可能性に思い至っている。相沢の手紙に書かれているそのことを、豊太郎が意識しないはずはない。
ここまで条件を並べてしまえば「不機嫌」であることに何らの疑問もない。ただ説明のための条件を揃えることが少々難しかったのだ。
説明とは抽象化の過程が必須であり、抽象化するためには、それを表わす言葉を用意する必要がある。各班でその言葉を挙げよ、と指示した。
多くの班で挙がったのは、「迷い」「決断への怖れ」「葛藤」などといった言葉だ。
日本への未練を棄てることは憂鬱だが、それを受け容れるしかないとなれば、なりゆきでそうならざるをえない。
だがそこから逃れる可能性が示されてしまったら、却って迷ってしまう。どうするのかという決断を迫られることになる。
相沢や大臣に対する度重なる肯い(承諾)には、何より断ることのできない豊太郎の弱さが表われているということを分析した。その豊太郎にとって、エリスか相沢・大臣かのどちらであるにせよ、拒絶することは難しいのだ。
そうした決断が迫られるのが憂鬱なのだ。
もう一つの方向は「罪悪感」「良心の呵責」「自己嫌悪」などの表現だ(こちらは出にくかったので誘導した)。
本心では、失ったエリートコースや日本での生活に未練があるが、それを諦めざるをえないと思っていたところに「名誉の回復」の可能性が示される。思わずエリスを棄てて日本に帰る可能性に期待してしまう自分の卑しさを自覚してしまうことが「不興」なのだ。
豊太郎の「不興なる面持ち」は、豊太郎の「迷い」や「罪悪感」を示している。豊太郎の頭に「名誉の回復」の可能性がちらついているということは、エリスのA→Bの変化と整合しているし、エリスに問われて答えられないのも当然だ。
そしてここまで分析できれば「エリスの世話焼が煩わしい」も「大臣に会いたくない」もあながち間違ってはいない。このように考えている豊太郎はエリスの甲斐甲斐しい世話を「煩わしい」というより「後ろめたく」思うはずだし、混迷を深くするかもしれない大臣への謁見は憂鬱だ。正装が窮屈だというのは、こうした状況を象徴している表現だとすれば正解の範疇だ。
ここまで考えれば「微笑」の説明も些かの修正が必要となる。
それは確かにエリスの不安を宥めるためではあるのだが、同時に、そうした不安をエリスに与えてしまう自分の心理が真実であることを気取られていることも、豊太郎は感じ取っている。だからそれを誤魔化そうとしているのだ、と説明できる。
「『〈豊太郎の心理〉に気づいたエリスの心理』に気づいた豊太郎の心理」をここに読み取らなければならない。
こうした説明には、誰もが納得するはずだ。
だがそうした説明を的確に組み立てるのはそれほど容易ではない。
「わかる」ことより、わかったことを客観的に捉えて他人に伝えることは、格段に難しい。
だがそれを求められる場面は多い。
入試のようなペーパーテストでさえ基本的にそうした力を試されているのだ。
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