2024年11月24日日曜日

舞姫 17 不興なる面持ち 2

 「なぜ不興な面持ちになったか?」の答として、いくつかの可能性について列挙しておく。

  • エリスの甲斐甲斐しい世話焼がかえって煩わしい。
  • 久しぶりの正装が窮屈だった。
  • 大臣に会いたくない。

 それぞれに文中にある情報から導かれる解釈ではある。聞いてみるとそれぞれに賛同者がいる。

 「久しぶりの正装が窮屈だ」は「大臣に会いたくない」の象徴的な表われだと言ってもいい。

 エリスの世話が煩わしいとか大臣に会いたくないとかいう解釈は、豊太郎がそれらの人物に対してどのような感情を抱いているかを表わしているのだと考えれば「ネクタイが苦しい」よりは有用な情報であると見なすことができる。

 それぞれ、先の条件に適っているかを検討してもいい。

 「大臣に会いたくない」は、エリスの科白の後で結局言っているのだから、なぜ問われたときにすぐに答えないのかにさらなる解釈の必要がある。

 そもそもなぜ会いたくないのか?

 「不興なる面持ち」が示す豊太郎の心理は、AからBに推移するエリスの心理に対応している。だからこそそれは読者に読み取れるはずなのだ。

 エリスが「容をあらため」た契機は、「不興な面持ち」しか考えられない。つまりエリスは豊太郎の心の裡を感じ取ったのだ。むろんそれは論理的な明晰さなどなくともかまわない。だがそれがエリスの誤解であったのなら、その釈明が必要となる。その釈明が文中にない以上は、豊太郎の「不興」が示しているものと、エリスに「容をあらため」させたものは一致していると考えるべきなのだ。

 読者はそのようにして「不興」を解釈するはずだ。鷗外はそれを読者に期待しているはずだ。

 それはどのようなものか?


 だが実は、豊太郎の「不興なる面持ち」が示す心理を上記のようにあれこれ考えることは、わざわざ回り道をしているにすぎない(授業では、あえてミスリードすることも、考察を促すために有用だったりするのだ)。

 とはいえ「エリスの世話焼が煩わしい」「大臣に会いたくない」などと言ってみれば支持者はいるし、そもそもこれらは過去の生徒から発せられたアイデアでもある。

 だがこれらは授業者が本当にそうだと思っている説明ではない。

 それは、上記のように条件をつけて、発想される諸説を選別していったわけではない。そんな思考は、読解に負荷がかかりすぎて現実的ではない。読者はそんなに立ち止まって考えたりはしない。

 こんなふうに考えるのは「不自然」なのだ。小説の部分的な解釈は、あれこれの条件を考えすぎずとも、それなりに「自然に」なされるはずだ。

 実際に授業者は、上記のような条件を考えてから、さて豊太郎の心理は、と考えたわけではなく、先にそうだと思われる心理を説明してみてから、それが上のような候補とどう違うのか、と考えたのだった。

 この「不興」についての解釈は、もっと自然になされるべきだ。それはどのような条件によって可能になっているか?


 この「不興なる」はいささか唐突に語られているともいえる。だから何とか解釈しようとして、前後を見回し、上のようなあれこれの解釈を思いつく。

 だがもうちょっと視野を拡げることができれば、この言葉は先立つこと1頁ほど(教科書では前の見開き)にある次の言葉を受けていることに気づく。

(エリスの体調不良は)悪阻といふものならんと初めて心づきしは母なりき。ああ、さらぬだにおぼつかなきは我が身の行く末なるに、もし真なりせばいかにせまし。/今朝は日曜なれば家に在れど、心は楽しからず

 それ以降には直接「不興」と関連しそうな情報がない(だからいたずらに不要な解釈をするしかなくなる)ことを思えば、豊太郎の「不興」は「心は楽しからず」を受けていると考えるしかない。


 といってこれは「不興」を「エリスの妊娠が重荷だから」と説明していいということではない。

 なぜか?



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