路上で泣いているエリスに主人公が出会う場面は、どのようなストーリーの、どのような時点か? 出会う時点までにどのような出来事があり、この後、どのような展開になる予定だったのか?
ストーリーの背後にある想定のバリエーションを分岐する選択肢の形で提示した。それらの組み合わせによって、ありそうなストーリーはさらにいくつにも分岐する。
その中でどれを選ぶか、どのような読解が適切なのか、鷗外はどのようなストーリーを想定しているか、といった判断は、本文との整合性に拠る。本文にそうした情報が提示されていなければ、そもそもこうした考察は埒のない二次創作でしかない。
本文の記述は、どのストーリーと不整合であり、どのストーリーを支持しているか?
本文において考慮すべき記述はそれぞれ、考慮すべきだというサインを読者に送っている。以下の記述がそうした「有意味な」記述なのだが、それらは一体どうしてそうだと見なせるのか?
A (エリスの)着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず。
B エリス帰りぬと答ふる間もなく~詫びて、余を迎え入れつ。
C 陶瓶にはここに似合わしからぬ価高き花束を生けたり。
小説の中に書かれていることには必ず意味がある、というのは小説読解にとっての大前提だ。人工的に創造される虚構は、作者がそう書かなければ存在しない。全ての断片は、書かれる意味がなければ書かれない。
Aのエリスの服装についての描写は単に、豊太郎及び読者に、エリスに対する好印象を抱かせる目的で言及されているだけかもしれない。
だが一方でこの言及もまた、ここでのストーリーを構成する断片かもしれない。それによって支持されるのはどのようなストーリーか?
Bの母親の態度が豹変したのは、この東洋人から資金的援助が得られるというエリスの主張を受け容れたからだということはわかる。「言い争うごと」き話の内容はエリスによる説得だろう。
だが最初にドアを「あららかに」開け、「待ち兼ねしごとく」「激しく」閉め、豊太郎を閉め出したのはなぜか?
この記述はどのようなストーリーを支持しているか?
Cの描写の中で、とりわけ注意を引くのは花束の存在だ。
花束だけならば、その前のテーブルクロスや書物などとともに、豊太郎の目に映る室内描写の一つとして看過できたかもしれない。だが「ここに似合わしからぬ価高き」という形容は、この花束の存在について、意識的な解釈を読者に要求している。これを無視することはできない。
この花束はなぜここに置かれているのか?
死者に手向ける花ではないかという可能性に思い至る者もいる。だがそうではない。
ここでは部屋の構造を確認しておこう。父親の遺体が寝かされているのは、入って正面の一室。一方、花束の置かれているのは、左手の竈( かまど ) のそばの戸を入った一室。それぞれ別の部屋だ。
花束を死者に手向けられたものであると解釈させるには、別の部屋にすることの必然性がわからない。したがって、これは死者に手向けられたものではなく、「体を売る」という状況と結びつけて考えるしかない。
そして、その出所を問うならば、エリス家が用意したか、誰かから贈られたか、しかない。
エリス家が用意したものだとすると、それによってストーリーは限定される。それはどのように帰結するか?
一方、贈られたものだとすると、それは体を売ることになる相手から贈られたものであることを示しているのだと考えるしかない。だがそこから「なぜそこにいたか」に答えるには、まだ明らかになっていない道筋がある。
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