エリスのぎりぎりの戦いはその後も続く。
8章で、カイゼルホオフに赴く豊太郎の身支度をする次の場面もまた実に興味深い読解が可能だ。
「これにて見苦しとは誰もえ言はじ。我が鏡に向きて見たまへ。何故にかく不興なる面持ちを見せたまふか。我ももろともに行かまほしきを。」少し容を改めて。「否、かく衣を改めたまふを見れば、何となく我が豊太郎の君とは見えず。」また少し考へて。「よしや富貴になりたまふ日はありとも、我をば見棄てたまはじ。我が病は母ののたまふごとくならずとも。」
「何、富貴。」余は微笑しつ。「政治社会などに出でんの望みは絶ちしより幾年をか経ぬるを。大臣は見たくもなし。ただ年久しく別れたりし友にこそ逢ひには行け。」
ここでは豊太郎とエリスの心理を分析しよう(小学生の時以来、授業でやってきた「この時の二人の気持ちを考えてみよう」だ)。
まずエリス。
エリスの心理は、三つに分割された科白ABCそれぞれの推移を、間に挟まる「少し容(かたち)をあらためて。」「また少し考えて。」といった描写を考慮して分析する。
A「これにて見苦しとは誰もえ言はじ。…」
少し容を改めて
B「否、かく衣を改めたまふを見れば、…」
また少し考へて
C「よしや富貴になりたまふ日はありとも、…」
比較的分析が容易であることもあって、促せば賑やかにあれこれ喋り合っているのは結構なことだ。喋りながらエリスの心情に迫っていけばいい。
ただ、毎度言っているように、説明のためには抽象化が必要だ。エリスの科白そのままではなく、何らかの語句をそれぞれにあてたい。
A 立派に正装した豊太郎を見て誇らしく思う
B 豊太郎と自分との距離を感じて不安になる
C 豊太郎が離れていく可能性に気づいて牽制する
「誇らしく」「不安に」「牽制」などという言葉を想起することが「説明」のためには必要だ。
また、三つの科白のつなぎのト書きについては、Bの「感じて」が「少し表情を変えて」、Cの「気づいて」が「少し考えて」に対応している。
さて、もう少々の考察。
AからBに推移するエリスの心理を、Bの頭の「否」から考えてみよう。
Bの冒頭の「否」は、Aの科白の何らかの要素を否定していることになる。BにはAを打ち消して提示される内容があるはずだ。
この「いいえ」は、Aの何を否定しているか?
ここでも「抽象化」が必要となる。AとBを同じ土俵に乗せて比較しなければならない。どちらかに寄せるか、間をとって両者を対照的な言葉に言い換えるか。
Aに寄せてみよう。
A「一緒に行きたいのに」は「行ける」前提があるということだ。行けないのは体調が悪いから、もしくはそれなりに見栄えのする服がないからであって、それが乗り越えられるなら「行きたい」、つまり「行ける」のだ。ならばBを「行けない」(私の豊太郎様ではないので)と表現すれば逆接が示せる。
Bに寄せてみよう。「私の豊太郎様ではない」ならばAは「私の」だと思っているということだ。「もろともに行かまほし」がそれを表わしている。
つまりAは自分と豊太郎を同じ範疇に入れているが、Bは違うのかもしれないと思っているわけだ。
上で、Bを「豊太郎と自分との距離を感じて不安になる」と表現したが、こうした変化の契機にあるのは何か?
豊太郎の「不興なる面持ち」だ。
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