2024年6月11日火曜日

弟に速達で 3 「すぐに」とはいつか?

  さて、この詩を読んだというため答えなければならない、最低限にして最大の問いは何か?

 毎度の例で言えば「羅生門」における「下人はなぜ引き剥ぎをしたのか?」であり、「山月記」における「李徵はなぜ虎になったか」であり、「こころ」における「Kはなぜ死んだか」だ。それに納得できれば、とりあえずはそれを読んだことにはなる、という問い。

 同様の問いをこの詩について考えるなら「なぜノブコは『はるか』という名を提案したのか?」「なぜ語り手は北へ行くのか?」「なぜ北から電話をかけないのか?」「なぜ速達なのか?」…。


 だがこの詩におけるこの問いは、上記の小説よりは「I was born」読解の際に立てた問いに似ている。

 「I was born」では「なぜ父は蜉蝣の話をするのか?」が読者に共通した疑問ではある。だがこの問いは、読解にとって有効にはたらかない(なぜかという説明は割愛する)。

 そこで立てた問いは「5聯と6聯はどのような論理関係なのか?」だった。そのような問いに拠ってしか「なぜ話したか?」は考えられないのだ。

 「弟に速達で」も同様。上記の疑問以外に、多くの読者に共通した疑問として浮かぶのは「なぜ老眼鏡を思い出したのか?」のはずだ。

 だがこの疑問が上のいくつかの問いよりも重要であるとは言えない。上の問いもまたそれぞれに重要な疑問ではある。

 だが「なぜ~思い出したのか?」が重要である訳は、この問いの形ではなく、むしろ「I was born」のような問いの形で表されるべき問題の、具体的な糸口として、この「なぜ」型の疑問が想起されるからだ。

 すなわち問題は、この詩における3聯の意味だ。

 2聯から3聯への展開、3聯から4聯への展開には、当然と言うには抵抗のある飛躍がある。この論理的な関係こそ、この詩の読解の鍵となる謎だ。

 それを、具体的なレベルで問うたのが「なぜ~思い出したのか?」(3聯)であり「なぜ北へ行くのか?」(4聯)だ。

 だが、どちらも、それを登場人物の心情レベルでのみ考えるべきではなく、詩の論理として考えるべきなのだ。


 さしあたり「なぜ思い出したのか?」に答えてみよう。
 「なぜ思い出したのか」を説明するということは、それを思い出させる契機が何であるかを明確にし、それと老眼鏡の想起の因果関係を説明するということだ。その契機は無論2聯から読み取るべきだろう。そのようにして2聯と3聯の関係を明らかにする。
 それは「なぜ語り手は…」という問いでもあるのだが、同時に「なぜ作者は語り手に老眼鏡を思い出させたのか?」という問いでもある。

 さて、考える糸口を提供しよう。
 思い出す誘因と想起の因果関係を捉えるうえで、何と何が連続しているのかを明確にしておきたい。
 「すぐに」とはいつか?
 「(おれは)すぐに(思い出した)」とは、具体的にいつ、何の直後なのか?

 実はこれは案外に即答の難しい問いだ。そのことは、問われてみるまでは意外に気が付かないはずだ。詩の読者は詩を貫く論理・因果関係をそれほど明確には把握せずに「なんとなく」読んでいる。
 契機はむろん姪の名付けについての話題だ。だが、それを語り手が耳にしたのはいつなのかは、にわかにはわからない。詩句から直接抜き出せる語句はなく、考え始めると、情報の整理に頭を使う余地がある。
 「『はるか』という名を聞いたとき」という素朴な答えは間違っていないが不十分だ。
 語り手はそれを誰から、いつ聞いたのか?

 二聯「いったのか電話で」から、弟と母親が電話で話したことがわかる。そしてそれは「~そうだな」という伝聞形からすると、その電話のことを、語り手はどこかで知ったのだ。
 弟から? 母親から? それ以外の第三者から?
 少なくとも「思い出した」のは、母親が「いった」時ではない。母親は電話で弟に「いった」。そのことを、後刻、語り手は知ったのだ。それはいつか?

 この命名が話題に上った「電話」とは、おそらく娘の誕生を弟が母親に報せた電話であろう。当然、懐妊自体はそれ以前から母親の知るところであり、誕生の報告にあわせて、母はひそかに温めていた命名案を弟に提示したのだ。
 そのことを語り手に知らせたのは弟ではない。「考えたそうだな」という伝聞形は、それを知らせたのが弟であれば、当人に返すはずのない言い方だ。
 たとえば弟の奥さんが語り手にそのことを話した可能性はある。だがここで、言及されていない登場人物がそれをしたのだと考えるのはあまり適切ではない。言うべきことは作品中に言われているはずだから。
 とすると、このことを語り手に伝えたのは母親だと考えるのが自然だ。彼女がそれを電話で弟に言ったことはまちがいないとして、それ以外に弟と彼女が会っているかどうかわからない(「最近会ったか?」)くらいの情報の不確かさは、この話を母親から聞いたこと自体も、電話での会話だという可能性が高い。
 以上の推論から、「老眼鏡を思い出した」のは、孫の名前として「はるか」を弟に提案(推奨)したということを、後で母親から(おそらく電話で)聞いた直後「すぐに」だというということになる。電話をかけたのが「おれ」なのか「ノブコ」なのかはわからない。弟と母親の電話の当日かもしれないし、翌日かもしれない。赤ん坊の名前がどうなるかが未確定なのだから、それほど時間は経っていないと考えるべきだろう。
 つまり「私は『はるか』って名前がいいんじゃないかしらって、あの子(弟)に言ったのよ」などと母親自身が電話口で語るのを語り手は聞いたのだ。
 そして、語り手は老眼鏡を思い出す。
 そこにはどのような機制がはたらいているのか?

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