「第一夜」は「死んだ女が百合の花として帰ってくることで、百年待っているという約束が成就する物語」であると読める。
だが本文を見直してみると、明確にそのようには書かれていない。
「自分」は本当に百合が女の生まれ変わりであると気づいたのだろうか?
なぜこんな疑問をわざわざ投げかけるのか不審に思うかもしれない。百合の描写からは、それが女の生まれ変わりであることは自明であるように感じられる。「首を傾けていた」という擬人的表現も「骨にこたえるほど匂った」という比喩も女の官能性を感じさせる。「自分」が思わず接吻してしまうのも、それが女の生まれ変わりだからだ。花弁に露が落ちるのは、女が死ぬ瞬間の「涙が頬へ垂れた。」のイメージと重ねられているのだろう。明らかに作者はそのような印象を読者に与えようとしている。
したがって、百合が女の生まれ変わりであることに気づく=女との約束が成就したことに気づく=百年が来ていたことに気づく、という論理に疑問はない。だからこそ「第一夜」を「物語」として読めるのだ。
だが、あらためて読んでみると「自分」がそのことに気づいたとは直截的には書いてはいない。
その間隙を衝くために次のような問いを投げる。
上の論理に従えば、「この時」とは、百合に接吻してから顔を離した「時」のことだ。
だが素直に本文を見直してみると、「気がつ」く直前に「自分」は「暁の星がたった一つ瞬いてい」るのを見ている。
もちろんこの二つは同じ「時」だ。「顔を離す拍子に思わず遠い空を見た」のだから。
だが問題は「時」と指定されるある時点というより、「この」が指している事実が何かだ。
そしてその事実と「気がついた」におそらく因果関係があるのである。
とすれば、上の二つの可能性は、ただちに次のように問い直される。
②「なぜ『百年はもう来ていた』ことに気づいたのか?」の答えは次のどちらか?
a 百合が女だと気づいたから
b 暁の星を見たから
どちらが正解か、という問いではない。aとbはどのような関係になっているか?
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